19/10/29 常陸太田市東連地町 青蓮寺報恩講 真宗本願寺派
11:00 法話 鷲元明俊師 真宗本願寺派 上宮寺前住職
13:00 お勤め
14:00 法話 鷲元明俊師
[ ]はhp制作者のメモ。
■法話。
■如信上人の報恩講。
700年前。如信上人{親鸞の孫・善鸞の子。1235〜1300]。
如信上人はどこに住んでいたか。
はっきりとはしていない。
福島県古殿町大網・茨城県上金沢などで布教された。
如信上人は親鸞聖人報恩講のため京都にいっている。
お参り法要をつとめていた。
46歳から20年間毎年かかさず京都にいっている。
托鉢しながら京都まで行った。
現在、大子町上金沢に法龍寺がある。
如信上人がいた。
今は、大きなイチョウの木がある。
如信上人は[新暦1300年2月2日]1300年1月4日入滅。
親鸞聖人 新暦1263年1月16日入滅。
[1/9〜1/16。
浄土真宗本願寺派 西本願寺で御正忌報恩講がある。
報恩講は宗祖親鸞聖人の恩をしのぶ。
阿弥陀如来の救いを味わわせていただく法要]
■私もやってみよう。
如信上人にならって、私も京都まで歩いてみようと思った。
真宗大谷派の蓮如上人御影道中に参加している。
御影道中で知り合いになった方に相談。
その方は、東海道・中山道を何度か歩いた。
四国の88ヶ所巡りも実施している。
その方に是非やったほうがよいと言われた。
■上金沢から歩いた。
出発地は、上金沢法龍寺とした。
1/9〜1/16報恩講に向け上金沢から歩いた。
作務衣でいった。
シャツ2枚。パンツはやめ褌。
カッパ・くすり・懐中電灯。
長靴は重いので持たなかった。
野宿はやめて、出発前に宿を決めた。
宿はビジネスホテル。
安くて良い。
■12/6上金沢を報恩講にむけ出発。
山方宿に泊まる。
12/7自宅上宮寺到着。
腰が痛くなった。
自宅に到着したらおじの葬式のはなしがあった。
葬式のことをやっていたら腰もなおってきた。
入滅したおじが無言で
無理をするなと言ってくれたようだ。
■年をまたぐ
1/9〜1/16の報恩講に出るには年をまたぐ。
ちょっとつらい。
築地本願寺。
[お葬式があったので三島まで電車で移動?]
三島。
富士川をわたる。景色がよかった。
如信上人も富士川を渡って
同じような景色をみたか? などと考えた。
■沼津
富士山がきれい。
逆さ富士をみた。綺麗な景色だった。
山・川は如信上人のむかしのままか。
などと考えた。
如信上人も見て美しいと思ったか。
美しい景色は、歩いて旅することのたのしみ。
■由比宿ゆいしゅく。
桜エビが有名。食べた。
そこの店で、
薩?峠さったとうげに行くことをすすめられる。
いってみた。
[薩?峠は駿河湾に突き出した山の裾にある峠]
安藤広重の東海道五十三次に描かれる。
景色がきれいだった。よかった。
■毎日20〜25kmを歩いた。
冬で寒いと思ったが、歩くとあたたかくなる。
ただ、雨は冷たくつらかった。
■藤枝であった方。
時間をつくり少しずつ東海道を歩いている。
今は何でも「1秒でも早く」という。
しかし、ゆっくり歩くと見えてくるものがある。
と、いっていた。同感です。[同感]
■ビジネスホテル。
ビジネスホテルに泊まった。
朝食が出てくる。よかった。
25泊した。
寝床があるのがうれしかった。
携帯でナビゲーションしてくれる。
^便利だった。
昔は地図を持って歩いた。
泊まるところがあるのはうれしかった。
若いときはお寺に泊まった。
[学校卒業後、京都から自宅上宮寺まで歩いて帰った]
しかし、大変だった。
泊めてもらうお寺探しが大変だった。
野宿もあった。
たんぼのあぜにある農家の物置の
わらに潜り込んだことがあった。
寝ていると足元で小さい音。
何かわからない。
蛇でないといいなと考えた。
山犬の遠吠えも聞こえてきた。
■朝食を食べる時感じたこと。
宿泊のみなさま、無言で食事。
誰も食べる時に手をあわせない。
これではいけないと思った。
「おはようございます」と
ホテルの人に元気にあいさつした。
ホテルの人、にこにこする。
「ごちそうさま」
ホテルの人、にこにこする。
現代の社会。
お蔭さまの世界が大事。
■お釈迦様の話。
けんかばかりしている地区があった。
どうしたらいいか。
地区の人がお釈迦さまにきいた。
お釈迦様はいった。
「簡単です。木の実で数珠を作りなさい。
手をあわせ、おはようございます。
それをお互いにやりなさい」
けんかしていた地区は穏やかになった。
■自宅上宮寺では。
小学2年と2才の孫がいる。
いってきます・ただいま・おかえりなさい。
2才の孫もやっている。
■身体で見せる教育。
毎朝仏壇でおまいり。
その姿をみせることが大切。
その雰囲気が必要。
■大垣から米原の途中に関ヶ原合戦場跡がある。
いい場所だった。
ただ寒かった。
■1/6京都本願寺につく。
到着の感激はなかった。
如信上人は、20年間、毎年法要をつとめた。
如信上人のおもいを少しは感じた。
■大久保さんのこと。
大垣の近くからこられる大久保さん80歳がいる。
大久保さんはおばあちゃん。
毎回来ている。
前のほうで一緒に法話をきくようになった。
友達になった。
■朝のおつとめ6時から。
1時間前の5時までに入る。
その後お経を読んだり・法話きいたり忙しい。
難しいお経もある。
終わりは20時くらい。
その後少し酒をのんだりする。
話をきく坊さんが少ない。
話をきくひと少ない。
大久保さんはいつもきいている。
■浄土真宗救いの喜び。
[●阿弥陀如来の本願は
かならず救う まかせよと
南無阿弥陀仏の み名となり
たえず私に よびかけます
●このよび声を 聞きひらき
如来の救いに まかすとき
永遠に消えない 灯火が
私の心に ともります
●如来の大悲に 生かされて
御恩報謝の よろこびに
南無阿弥陀仏を 称えつつ
真実の道を 歩みます
●この世の縁の 尽きるとき
如来の浄土に 生まれては
さとりの智慧を いただいて
あらゆるいのちを 救います
●宗祖親鸞聖人が
如来の真実を 示された
浄土真宗の み教えを
共によろこび 広めます]
大久保さんとはなしをしている時
「浄土真宗のみ教えを広められるかな」
といったら大久保さんは
「何をいっているのですか。
浄土真宗のみ教えを広めるのは
み教えに出会ったものの使命です」
と厳しくいわれた。
■あるお寺で、
なぜお寺にくるのかと聞いたら
「死んだあと極楽にいきたいからだ」
と答えた人がいた。
地獄にいきたくない。
もう一回この世に帰ってきたくはないか。
それが還相回向。
■私たちは自分中心にものごとをかんがえる。
色メガネをつかう。
神社にお参りする時。
「自分の家だけは」と考える。
豆まき。
福は内はよい。
鬼は外。
となりの家はどうなる?
自分中心だから本当のことが見えない。
浄土に生れたらびっくりする。
浄土に生れた時真実が見える。
多くのものに支えられたいのちだったことがわかる。
感動する。
空気・水・太陽、みえないところで支えてくれている。
服だれが作った。
多くの人のおかげで服はつくられている。
それが浄土にいったらみえる。
いろんなものに支えられている。
一生懸命に働かせてもらうことが大切。
■先祖が大事。
親の名前いえるか。
親の親の名前はいえるか。
その前はどうか。
その前8人の名前。
8人の人生がいえるか。
言える人は少ない。
ご先祖があって私がいる。
■縁起
人間70億。
人間は70億の何倍もの
細菌によりいかされている。
■出会いが大切。
自分を愛し周りの人を愛する。
ひとを愛する。
その人を見つめること。
郷という字。金砂郷など。
郷は、ごちそうをみてみつめあっている形。
みつめる、相手の心をきいていく。
水はつかめません すくうもの
心もつかめません 汲みとるもの。
そこに出会いのよろこびがある。
■親孝孝行のはなし。
最近は字を調べるのもインターネット。
「みんなのアンテナ」というサイトがある。
いろんな意見をきいていく。
親孝孝行のはなし。
父をなくした男3人兄弟。
母はいつも親切・思いやりがあった。
父はいつもぶっちょう面・しかめ面だった。
実家で、父母2人で暮らしていた。
母が亡くなった。
誰が父の面倒ををみるか。
ホームに入ってもらうことにした。
男3人兄弟は、
父がホームに入ってもあまり父のところに行かなかった。
父が病気になった。
男3人兄弟は、お見舞いに行こうとしなかった。
父が亡くなった。
葬式をした。
遺産相続。
遺産は3等分することにした。
通帳が見つからない。
ホームに父の金庫があった。
かぎ師に3人の前で金庫を開けもらった。
金庫から出てきたもの。
3男の100点満点のテスト用紙。
2男の競技会での賞状。
長男が初任給で買って父に贈ったネクタイ。
出てきたものをみて
父が本当に大事に思っていたものがわかった。
3人で泣いた。
子どもの大事なものを大切にしてくれた父。
金庫を開けた時に
本当の父の想いをしった。
■私と父。
父となかよくなかった。対立した。
父との思い出がある。
7月頃だった。
父母が農作業をしていた。
私は父母の近くであそんでいた。
ススキを丸める。蜘蛛の巣をこわした。
根性のある蜘蛛に肩をかまれた。
夜中に熱が出た。
父が起きて常陸太田市の病院に連れて行ってくれた。
自転車の後ろに乗っていった。
月夜だった。
たんぼ道を父の自転車に乗っていった。
父背中から乳の息使いがわかった。
父は、ドンドン戸をたたいて夜中に先生を起こした。
父のおかげで治療してもらえた。
今でもよく覚えている。
父に感謝。
■親鸞再考 佐々木正を読んだ。
今日の法話ため読んだ。よかった。
本を読んだのも皆さまのおかげです。
法然上人と親鸞聖人は40才違う。
●法然上人。[1133〜1212]。
美作国、今の岡山県に生れる。
地方武士の子。
9歳のとき。父は抗争で亡くなる。
死に際し父は上人にいった。
「仇を恨んではならない。仏教に入れ。
敵も味方も、ともどもに救われる道を求めよ」。
13歳のとき。比叡山に上る
18歳のとき、叡空より天台宗の教えを学ぶ。
求道者として、
人はどのようにして
悩みや悲しみから離れることができるのか、
その道をひたむきに探し求めた。
比叡山の教えではわからなかった。
一切経を読み仏の教えに答えを求めた。
20年間で5回も読んだ。
聖人には一つの直感があるようだ。
だれでもすくわれる教え。
43才のとき。
源信僧都の言葉に導かれて、
善導大師の教えに出遇う。
善導大師の「観経疏」の
「一心に弥陀の名号を専念して」
という言葉に遇う。
「ただ念仏しかない」という教えだった。
「ただ念仏」によってのみ救われる。
比叡をおりる。
仏教の一大改革者。
京都の吉水。
貧富・貴賎を問わず、
濁った世を生きる人。
真の仏教を求める人に、
「専修念仏」の教えを広めた。
●親鸞聖人。
この法然上人に出遇い
その教えを受け取られたのが親鸞聖人。
19才のとき。
磯長御廟しながごびょうの夢告を受ける。
磯長御廟は聖徳太子の御廟。
「親鸞のいのちは、あと10年。
真の菩薩を信ぜよ」という夢告。
親鸞聖人は修行に励んだ。
修行すればするほど、仏の悟りとはほど遠い。
自力修行に行き詰る聖人。
おつかいにでて比叡山に戻るとき。
一人の女性と出会う。
わたしもつれていって。
女性は入山できない。
メスの動物がいる。なぜ女はだめなの?
すべてのひとの助かる道はないか悩む。
吉水で他力念仏の教えを説く
法然上人の存在があった。
本当の仏教は何か。
29才のとき。
比叡山を降り、京都六角堂に籠もる。
六角堂の夢告により、法然上人のもとに行く。
いっさいのものが救われる教えに出会う。
●環境問題
スウェーデン 16才女性。
グレタ・トゥンベリさん。
地球温暖化を訴えている。
「私たちを裏切った」、
気候変動の危機訴える。
15才のとき
地球温暖化対策を求めて、
週1回授業を休み、
議会の前で座り込みを続けた。
学校に行くべきだと言う人もいる。
なくなる未来のために何故、勉強が必要?
なくなってしまう未来のために、
どうして勉強をしなければならない?
世界に発信した。
多くの人か共感した。
ひとりでは何もできない。
でもひとりがはじめないと何もできない。
■手を合わせる。
念仏。南無阿弥陀仏。
縁起をおもう。
■広島安芸門徒のはなし。
広島が災害にあった。
門徒のおばあさんが入院した。
住職はお見舞いにいった。
「熱心にお寺にいっているのになぜ災害に。
念仏は役に立たないといわれるかと気が重かった」
安芸門徒のおばあさんは住職にいった。
「いつも住職のはなしを
うわのそらできいていた自分がよくわかった。
いつどうなるかわからないと
住職はいつもいっていた。
どうなっても対応するこころが足りなかった。
こころをもつていなかった。
災害で思った。
ウワのそらで聞かず、
しっかり聞くようにする」