19/10/10 常陸太田市東連地 青蓮寺 
七歩の会 第7回仏教教団の成立V 真宗本願寺派。
■有力信徒の帰依。
釈尊は象頭山にしばらく留まった。
その後10人の弟子を連れ王舎城にいった。
そこでマガダ国王ビンビサーラが釈尊に帰依した。
人々の噂を聞く。
「釈迦族出身のゴーダマ・シッダールタ。
今、王舎城のラッティ林園に住んでいる。
彼は真人・正しくさとった人・
明知と行いとをそなえた人・
幸ある人・世間を知った人・
無上の人・人々を調える御者・
神々と人間の師・さとった人(仏)・
尊師であるといわれる。
●かれは自ら知り、証得して
神々・悪魔・梵天を含めてのこの世界や、
修行者・パラモン・神々・人間を含めての
生きとし生けるものどもに教えを説く・・・。
そのような真人らにまみえることは結構なことだ」
●そこで、ビンビサーラ国王はマガダ国の12万のバラモン・
資産者たちに囲まれて釈尊がいるところに赴き一隅に座った。

●マガダ国の人々はカッサパは大修行者であることをしっていた。
釈尊とカッサパ、どちらが師匠かを知りたかった。
釈尊はそれを察してカッサパにたずねた。
釈尊
「あなたは何故聖火を捨てたのですか」
カッサパ
「バラモンの祭祀は色形・声・味・愛欲・女も説く。
生存の制約要素は汚れであると知った。
祭りも供養も楽しくなくなった。
静けさの境地・・・
こだわり無く無一物で、
欲望に執着しない・・・」
カッサパは立ち上がる。
釈尊の足に顏をつけ礼拝する。
カッサパ
「尊い方よ。尊師は私の師であります。
私は弟子であります」
●カッパサはマガダ国の人々に話した。
施しの訓話・戒めの訓話・生天の訓話・
欲望の患いと堕落と汚れ出離の利益とを説いた。

●釈尊は、彼らが健全な心・柔軟な心・
偏見に覆われない心・喜び勇んだ心・
澄んだ心となったのを知って、
目覚めた人々(諸仏)の称讃した教えを説かれた。
苦しみ・その原因・止滅・止滅に至る道
4つの真理である・・・四諦。

●因縁によって集まり生起する性あるものは、
みな滅する性あるものである。
・・・
集まったマガダ国の人々は真理を見る眼が生まれた。
1万人の人が在俗信者になると表明した。
●ビンビサーラ国王は感激し述べた。
「釈尊よ、素晴らしいです。
釈尊は、倒れた者を起こすように、
眼ある人々は物をみるであろうといって
暗夜の中に油の灯火を掲げるように、
種々の仕方で法を明らかにされた。
だから私は釈尊に帰依します。
また法と修行僧の集いに帰依します。
釈尊は私を在俗信者として受け入れてください。
今日から命終えるまで帰依します。
釈尊は明日修行僧のつどいとともに
私の食事を御受けください」

●釈尊は沈黙によって承諾した。

●ビンビサーラ国王はいった。
「この竹林は村から遠からず近からず、
往来に便利で、人が往きやすく、
昼は喧噪少なく、夜は音声少なく、
人跡絶え、人に煩わされることなく、
瞑想に適している。
私は竹林精舎をブッダを長とする
修行僧のつどいに寄進します」

●「村から遠からず近からず」という限定は、
原始仏教の社会性をしるために大切。
原始仏教に帰依した人々は、
王族・商人・手工業者など都市に住んでいる人だった。
しかし都市的生活を肯定したのではない。
都市的生活の否定態において
原始仏教の出家者教団が成立していた。
釈尊は生涯を遊行していた。
最も長く住んだのは王舎城といわれる。

●ビンビサール国王は、後に子アジャセに殺された。
観無量寿経に説かれている。

●懐疑論。サンジャヤ。
サンジャヤは王舎城に住んでいた。
多くの弟子がいた。
高弟の舎利弗・目連が
250人の弟子とともに釈尊に帰依した。
舎利弗・目連はサンジャヤに
釈尊の弟子になることを勧める。
サンジャヤ断った。

●舎利弗は釈尊の弟子アッサジの姿をみて尋ねた。
「師はだれか。どのような法か」
アッザジ。
「釈尊の弟子です。
もろもろの事柄は原因から生じている。
釈尊はその原因を説く。
釈尊は原因の止滅を説かれます」
すべてのものには、
多くの原因により成立する。
因縁により生ずる。
●目連は7日で聖者の最高の境地に達した。
舎利弗は半月で聖者の最高の境地に達した。
釈尊は2人を第一の弟子の地位に置かれた。
●この時教団は1250人らなった。

■懐疑論。
省略。

■故郷へ帰る・釈迦族500人の帰依。
釈尊は故郷のカピラヴァツトゥに帰った。
必ずしもあたたかく迎えられなかった。
国を捨て異様な修行者になったとして軽蔑された。
しかし、すこしずつ感化をおよぼした。
釈尊の父国王は
「王族の子が托鉢乞食するのは恥ずかしい。
どうして私に恥ずかしい思いをさせるのか。
何のために托鉢して歩いているのか」
●釈尊
「大王よ、これがわたしたちの伝統の作法です」

「我々の伝統は王族の家系だ。
そこには食を乞い歩く王族は一人もいない」
釈尊
「大王よ、あなたの系統はこの王の系統ですが、
わたしたちはディーパンカラ、コンダンニャ・・・
カッサパと続くブッタ覚者の系統です。
これらのブッタも、
他の数千のブッタも行乞します。
行乞することにより生活しています」
釈尊
「奮起せよ。怠惰があってはならない。
善行をおこなえ。
正しく行う者は、
この世でもかの世でも安楽に臥す」

●父国王は釈尊に屈した。
最後の詩をきいて国王は
聖者の第二の境地に達した。
これは世俗の生活のままで、
究極の境地に達せると考えられる。
後に王室の人々が出家する。
釈尊の妻ヤソーダラ・異母弟ナンダ・息子ラーフラ・・・。
●ラーフラの帰仏。
ラーフラは釈迦族の資産を与えてもらおうと釈尊に懇願した。
釈尊
「この子は財産を望んでいるが、
それは苦悩をもたらすものである。
かれには聖なる財産を与えよう」
釈尊はラーフラに精神的な財を与えようとした。

■ウパーリの出家。
●釈尊はバラモン・王族など
社会上層部にだけ、はたらきかけていたのではない。
初期の仏教が社会的勢力を得たのは、
王族やバラモン達が帰依したことが大きかった。
釈尊は教団内部に平等主義を確立しようとした。
下層出身者を積極的に採用した。
●理髪師ウパーリが釈迦族6人と出家した時。
釈尊
「私たち釈迦族は傲慢です。
理髪師ウパーリは我々の従僕でした。
最初にウパーリを出家させてください。
我等は彼に対して、
立って迎え、合掌し礼をして、
恭しい態度を示しましょう。
釈迦族であるという高慢さを除くことにしましょう。
釈尊は釈迦族6人をウパーリの後に出家させた。

■逃げ場所の提供。
バッディヤ国王は釈尊の弟子となり出家した。
バッディヤ
「私は国王だった。
後宮の・外。都城の中・外。国内どこでも
厳重に警備されていた。
厳重な警備に関わらずいつも恐れていた。
ところが今は違う。
森の中・木の根に座る・
空き家の中にいても何も心配ない。
「楽しい。楽しい」としばしば言った。

●釈迦族の中で政治的陰謀が絶えなかった。
陰謀から逃れるためバッディヤは出家した。
仏教教団は逃げ場所を提供していた。

■給孤独長者きゅうこどくちょうじゃ
スダッタの帰依。
孤独な人々に食べ物を与えた。
スダッタはコーサラ国の富豪。
仕事で王舎城にいったとき、
釈尊を中心とする出家衆の崇高な姿に
心をうたれ帰依する。
自国に招待し、教団にジェータの園林を寄進した。
ここに僧院として精舎を建てた。
祇園精舎という。
釈尊が雨期の安居あんごの時
一番長く過ごしたのは祇園精舎といわれる。

■修行僧らよ。我に仕えよと思う者は、病者を看護せよ。
●祇園精舎にストゥーパがある。
病気の修行僧がひとり住んでいた。
釈尊「あなたは何故ひとりで苦しんでいるのですか」
修行僧「私は怠け者です。
他人を看病することができません。
私が病気になっても誰も看病してくれません」
釈尊「私が看病します」
手でさすると病苦は消えた。
釈尊は体を洗ってやり、
新しい衣に着替えさせた。
釈尊「自ら勤め励みなさい」
と話された。

●ある修行僧が胃腸の病気を患った。
仲間から見捨てられた。
大小便の中に埋もれて臥していた。
釈尊は水を持ってこさせた。
病僧を入浴させ体を洗ってやった。
「修行僧らよ。我に仕えようと思う者は、病者を看護せよ」

●竹林精舎でも同様なことがあった。
釈尊
「私に施す福徳と病人を看病することは同じ」
病人を看病することは、
仏に奉仕することである。