19/8/24 ひたちなか市 ひたちなか市市民大学講座 
第4回「マヤ文明の発展 古典期(1)、ティカル王国の歴史など」
長谷川悦夫先生。  
[ ]はhp制作者メモ。
質問。なぜ、文字がない
何千年も前の遺跡や遺物の年代がわかるのか。
答え。放射性炭素年代測定法。
同位体14Cの量をはかる。
ただし測定結果に対する補正が必要。
年輪年代法。水月湖の年縞堆積物。

質問。昔は今よりも海岸線が内陸まで入り込んでいたのか。
答え。縄文時代中期7000〜5000BPは、
完新世気温最温暖期と呼ばれる。
今よりも気温が高かった。
それにさもない海水面も上昇した。

質問。マヤ人は魚を食べたか。
答え。内陸にいた人も少しは食べていたと思われる。

以下はhp制作者メモ。
{■マヤの歴史。
紀元前1600〜250年。先古典期。
250〜900年。古典期。
900〜16世紀前半。後古典期。
■ティカルの歴史。
ティカルは、グアテマラ中部のジャングルにある。
紀元前350年。
ノース・アクロポリスで神殿つくり開始。
100年。
●初代王即位。
250年。
多くの都市が衰退し滅ぶ。
ティカルは生き残る。
テオティワカンとの交易がよかった。
4世紀。
●14代王チャク・トク・イチャーク1世。大ジャガーの足。
交易で発展。
378年.
政変が起きる。
シヤフ・カック西の大王がティカルに到着。
14代王大ジャガーの足が水に入る。死亡。
379年。
●15代王ヤシュ・ヌーン・アイーン1世即位。
テオティワカンの投槍器フクロウの息子か?
シヤフ・カックが優越王となる。
テオティワカンの戦士像、テオティワカン・ゴーグルが描かれる。
テオティワカン様式の土器。
テオティワカンは約1,000km離れている。
●シヤフ・チャン・カウィール2世。
マヤ回帰が見られる。
562年.
従属国を従え繁栄。
従属国カラコルとカラクムルに侵略される。星の戦争で大敗。
以後130年間モニュメント製作なし。
642年。
ティカルはドス・ビラスに新王国を築く。
ティカルがパシオン川流域の交易を押さえる。
バラフをドス・ピラスに派遣。
バラフは敵国カラクムルと組んでティカルを攻撃する。
●25代王ヌーン・ウホル・チャーク。
カラクムルとの戦いが繰り返される。
657年.
ティカルが負ける。王ヌーンはパレンケに亡命。
672年.
ヌーンがドス・ビラスを攻撃。バラフを追放。
677年.
ヌーンはカラクムルに負ける。ドス・ビラスを撤退。
679年.
ヌーンはカラクムルに敗北。
695年.
●26代王ハサウ・チャン・カウィール。
カラクムルに勝利。
ティカルは息を吹き返す。
神殿をつくり始める。
●27代王イキン・チャン・カウィール1世。
カラクムル・その配下の国々を破る。
ティカルはマヤ第一の強国となる。
8世紀。
ティカルの人口6万人。
9世紀。
●31代王・暗い太陽。
3号神殿を建てる。
10世紀。
ティカルが放棄される。
●ティカル最後の王は33代。}