19/8/8 常陸太田市東連地 青蓮寺
七歩の会 第5回仏教教団の成立 真宗本願寺派。
■伝道の開始。
●釈尊は修行初めに出会った思想家
アーラーラ・カーラーマに話そうとする。
亡くなっていた。
その子ウッターカに話そうとした。
亡くなっていた。
●釈尊は一緒に修行した5人に話そうとした。
ベナレスに向かった。
途中、苦行する宿命論者ウパカにであう。
■初めての伝道で失敗する。
●ウパカ「あなたの姿は清浄だ。
何を目指し出家したのか。
師はだれか」
●釈尊は確信に満ちた態度でいった。
「私は一切に打ち勝った。
一切を知る。
全てを捨てて妄執をなくし解脱している。
自ら知った。
師はいない。
私は無上の師であり正覚者である。
煩悩を消滅するに至った人々は
私に等しい勝者である」
●ウパカ「そうかもしれない」
とからかうように
軽く皮肉いいとりあわない。
去ってしまった。
釈尊のはじめての伝道は失敗した。
■ガンジス川を渡る。
釈尊「川を渡りたい」
船頭「金を払えばのせてあげる」
釈尊「金をもっていない」
船頭「乗せられない」
釈尊は神通力で川を渡った。
・・・
実際は神通力で渡ったのではなく
釈尊は無理やり船に乗り込んで
川を渡ったと思われる。
現在でも、南方諸国では
仏教僧侶が移動する時
特別の便宜がはかられるらしい。
■初転法輪。
ベナレス郊外のサールナート鹿野園。
さとりをひらいたブッタガヤから直線で200km。
サールナートには、
多くの宗教家・思想家が集まった。
新思想が説かれた。現在で言えば
学会の全国大会の場のようなものか?
5人の修行僧は、
修行を途中でやめた釈尊を嫌った。
しかし釈尊に会うと釈尊を歓迎していた。
●5人への最初の説法。
中道と八正道を説いた。
中道・・・極端な欲楽と苦行を離れる。
↓
ニルバーナに向かう道。
↓
四諦八正道・・・苦しみの止滅により智慧の光明が生じる。
■ヤサの出家。
ヤサは大富豪の息子。
宴会の後、無残な姿で寝ている人びと。
自分もその一人だった。
どれが本当の自分なのか、
サールナートのほうへ出かけ物思いにふける。
釈尊に出会う。
光顏巍巍と光輝いている釈尊。
肩を落としているヤサ。
釈尊「なぜ落胆しているの」
ヤサは朝からの思いを話す。
釈尊「苦しいのですか」
ヤサ「はい。苦しいです」
釈尊「その苦しみは、
あなたの我執・煩悩によるものです。
それをよく自覚しなさい。
私のようになりたいのですか」
ヤサ「なりたいです」
釈尊「私のようになりたいのなら道がある。
苦集滅道の順番です。
[苦集滅道・四諦のこと。
苦は人間の生が苦しみ。集は煩悩による苦。
滅は煩悩を絶滅することで涅槃に達すること。
道は八正道に励むこと]
生れた命は必ず年をとる。
それを認められるかどうか。
ヤサは出家した。
出家を知った両親は釈尊を訪ねる。
「息子を弟子にさせないで」と話す。
釈尊「苦しいのですか。
その苦しみはヤサのせいではない。
あなたの中の煩悩のせいです」
両親「一人息子です。
財産を他人にやりたくない。
自分の老後の面倒をみてもらいたい。
・・・」
自分のことだ。
・・・
釈尊は両親に教えを説いた。
両親「ありがたい教えです。
長年の悩みが取り払われました」
両親は出家しないが、
釈尊の教えを聞く身となる。
在家信者となる。
●出家は仏の智慧を我が智慧として道を歩むもの。
辛い修行も厭わないという思いをもつ。
親鸞聖人が比叡山でやってきた道。
在家は仏の智慧を仰ぎながら・
お慈悲をいただきながら暮らしをすること。
自分の智慧や知識を絶対化しない。
自分は煩悩具足の凡夫であると知らされ続けていく。
親鸞聖人が歩まれた浄土真宗の仏道。
■6人目の出家者。
6人目の出家者としてヤサを迎え入れた時
釈尊はいった。
「この世に真人は7人になった」
究極の真理にたっしたという点では、
釈尊も弟子もその区分はない。
法という真理の前では、
人はみな横並びの関係が成立する。
●ヤサの家での説法により
ヤサの家族が在家信者として帰仏。
●ヤサの友人4人が出家信者として受戒。
この世に真人は11人になった。
●後にヤサの友人50人が出家した。
■伝道のすすめと悪魔の誘惑。
●出家者に対し釈尊は伝道を勧める。
「修行僧らよ、
わたしは天界のものでも人間のものでも、
一切の束縛から解脱した。
汝らもまた、
天界のものでも人間のものでも、
一切のものから解脱した。
歩みを行え、衆人の利益のために、
衆人の安楽のために、
世人に対する同情のために、
神々と人間との利益のために。
多くの人に教えを説き示すために。
2人してひとつの道をいってはいけない。
初めよく、中ごろよく・終わりもよく
理と文とそなわった教えを説け。
ひとえに完全にして純潔なる清らかな行いを顕示せよ。
世には心の眼が塵垢に覆われることの少ない人々がいる。
教えを聞かないが故に[理法から]堕ちている。
[聞いたならば]理法を了解するであろう。
われもまたセーナー村におもむこう。
教えを説くために。
●悪魔の誘惑。
「真実の行者は伝道などの活動をすべきではない、
静かにすわり瞑想する」という見解が当時あった。
釈尊も躊躇したり不安を感じた?
釈尊が伝道を開始した後になっても、
悪魔が伝道を思いとまらせようとした。
しかし悪魔に対し釈尊は、自信を持って教えを説いた。
●さとりに出遭った後の実践が仏教である。
実践の根拠は確信である。
■三帰依による受戒。
第一に髪と髭を剃り、黄色い衣をまとい、右肩をぬぎ、
修行僧らの足に顏をつけて礼拝し蹲踞そんきょし、
合掌し次のように申せという。
「私はブッダに帰依します。
法に帰依します。
つどいに帰依します」と三度いう。
●釈尊は当時支配的だったカースト制にとらわれなかった。
教えを請う人ば誰でも受け入れた。
教団は様々な階級出身者で急速に拡大した。
■雨期には定住生活を雨安居と称し行った。
■釈尊の生涯。
ルンビニー・・・誕生。
カピラウァストゥ・・・成長と出家。
ブッタガヤ・・・さとりをひらく。
サールナート・・・はじめての説法。
シュラーヴァスティー(舎衛城・祇園精舎)・・・伝道・安居の場所。
ウァラーナシー(ベナレス)・・・ガンジス川沿いの宗教都市。
ラージャグリハ(王舎城・竹林精舎)・・・観無量寿経王舎城の悲劇の舞台。
クシナーガル・・・入滅。
■十大弟子。
●舎利弗しゅりほつ。舎利子。
智慧第一。
●摩訶目?連まかこっけんれん。目連。
神通第一。
●摩訶迦葉まかかしょう。大迦葉。
頭陀第一。頭陀は仏道の修行・生活。
●須菩提しゅぼだい。
解空げくう第一。
●富楼那弥多羅尼子ふるなみたらにし。富楼那。
説法第一。
●摩訶迦栴延まかかせんねん。
論議第一。
●阿那律あなりつ。
天眼第一。釈迦の従弟。
●優波離ゆばり。
持律第一。
●羅?羅らごら。羅雲。
密行第一。釈迦の長男。
日本では寺院の子弟のことを羅子らごという。
●阿難陀あなんだ。阿難。
多聞第一。釈迦の従弟。
釈迦入滅までの25年間、釈迦の付き人をした。
120歳まで生きたといわれる。