19/7/27 東海村古文書と歴史を学ぶ会
古代の常陸と「陸の道」・「海の道」
−駅家の設置と海道跡−
宮内先生。
[ ]はhp制作者メモ。
■先生の近況。
●甲子園予選。
勤務で高等学校最後となった
日立商を応援にいった。
相手は常総学院。
体格の差が大きかった。
相手は横綱。
個々の選手は、小学校・中学校で
全国レベルの選手が多い。
結果はコールド負け。
知人との再会もあり
楽しく応援できた。
当日は、野球部の生徒にもらった
ユニフォームを着ての応援だった。
●大船渡の話。
震災後大船渡にボランティアに行った。
大船渡は妻の出身地。
今年は高校野球佐々木投手で
何かと話題になっている。
小さい女の子がいた。
両親は離婚したらしい。
母は震災で亡くなった。
一人ぽっちだった。
母の死を受け入れられないようだった。
夜8時くらいになると
女の子は絵本を広げる。
母が読んでくれることをまっている。
しかし、だれも読んでくれない。
何日たっても誰も読んでくれない。
私が読んであげた。
読んだ後、女の子と私は外に出た。
夜空の星をみた。
女の子は「お母さんは星になった」といった。
母の死を受け入れた
ということだと思った。
それまで気丈にも
涙を流さなかった女の子の目に
涙があった。
母の死を受け入れたとおもった。
大船渡のボランティアを終え帰るとき
女の子に
「何か困ったことがあったら
電話をください」
といって別れた。
その後連絡がなかった。
最近電話があった。
「困ったことがなかったので
電話できなかった」
と女の子はいった。
その後会って食事をする機会があった。
●吉本のこと。
最近話題の吉本興業のこと。
20年くらい前に、
吉本の人に話し方のアドバイスを
もらう機会があった。
その時、終わってから食事に誘われた。
いったら
「20〜30分くらい
信長のはなしをしてくれ」
と頼まれた。
なんとか話をした。
驚いたのは、
若い芸人さんの聞く態度だった。
全員メモをとって
一言も聞き漏らすまいとする態度だった。
話から芸に対するヒントはないか。
その気迫を感じだ。
吉本の会社の人は芸人さんを
大切にしているように感じた。
今回の騒動で受ける印象とは
大きな違いがある。
■はじめに。
前方後円墳の立地。
海上交通の拠点掌握を意識して築造。
海上交通が地域支配の上で重要。
■古代国家の成立と展開。
●律令体制の成立。
●在653〜661
斉明さいめい天皇。
第 35代皇極天皇の重祚じゅそ。
658年.阿倍比羅夫による蝦夷征討。
660年.唐・新羅により百済滅亡。
663年.白村江はくそんこうの戦いで大敗。
国防強化。
烽ほう・水城みずき・
防人・朝鮮式の山城。
●661〜668年。
中大兄皇子称制
なかのおおえのおうじしょうせい。
近江大津宮で遷都。
即位。
●在668〜671年。
天智天皇。
近江令制定。
670年.庚午年籍こうごねんじゃく。
672年。壬申の乱。
●在673〜686年。
天武天皇。
皇族中心の政治を展開。
大王にかわって「天皇」の称号を使用。
684年.八色の姓やくさのかばね制定。
天皇中心の身分秩序。
真人まひと・朝臣あそん・
宿禰すくね・忌寸いみき・
道師みちのし・臣おみ・
連むらじ・稲置いなぎ。
飛鳥浄御原令制定。
施行は持統天皇の689年。
●平城京から平安京へ。
●在707〜715年。
元明天皇。
藤原不比等政権掌握。
710年.唐の都長安にならう
平城京に遷都。
708年.和同開珎鋳造。
皇朝十二銭こうちょうじゅうにせん。
708年〜958年乾元大宝に
鋳造された12種類の銅銭。
711年.蓄銭叙位令ちくせんじょいれい。
銭の流通を促進するため。
●国内資源の開発。
周防の銅。
陸奥の金。
●領域の拡大。
712年.出羽国設置。
724年.多賀城設置。
陸奥の国府と鎮守府を設置。
713年.隼人を平定。
大隅国設置。
●歴史書の編纂。
712年完成.古事記。
713年.風土記の編纂を命令。
●在781〜806年。
桓武天皇。
●遷都。
784年.長岡京遷都。
785年.造営責任者藤原種継暗殺される。
794年.平安京遷都。
●東北経営。
蝦夷の反乱に対し
坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命。
蝦夷を平定。
802年.胆沢城いさわじょう造営。
803年.志波城しわじょう造営。
●律令体制の修正。
勘解由使かげゆし設置。
国司交替時の不正を監督。
班田制はんでんせいを
12年1回にする。
雑徭ぞうようを半減。
健児こんでいの制。
農民負担軽減・
兵士の質向上のため
軍司の子弟を兵士に。
●在806〜809年。
平城天皇。
●在809〜823年。
嵯峨天皇。
●令外官の設置。
律令に規定されていない官職・官庁。
蔵人所くろうどどころ。
810年.薬子くすこの変を機に
朝廷の機密文書の保管をおこなう。
検非違使けびいし。
京の治安維持・裁判を行う。
●格式の編纂。
格=律令の修正法。
式=律令の施行細則。
820年.弘仁格式
こうにんきゃくしき編纂。
貞観格式じょうがんきゃくしき・
延喜格式えんぎきゃくしきと
ともに三代格式といわれる。
■海上交通と海道駅路。
●大型線船の存在と航行。
古墳時代の船形埴輪・
船の線刻画。
●史料に見える航行記事。
●常陸国風土記。
香島郡条。
陸奥国石城の造船に
大型船を建造させる。
鹿島灘へと航行。
●常陸から陸奥への移民。
●海道10駅の配置。
●石橋駅家。
■「長者山官衙遺跡
及び常陸国海道跡」
国指定史跡。
所在地。日立市十王町伊師。
2018/10/15国指定史跡に指定される。
常陸国風土記に記されている
古代官道の藻嶋駅家めしまのうまや
の可能性が高い。
駅家は、
九州や近畿地方で
数カ所確認されている。
東日本では初めての駅家の確認となる。
●長者山官衙遺跡。
8〜10世紀の官衙遺跡。
官道に面している。
日立北部の洪積こうせき台地東端。
標高20〜25m。
●藻嶋駅家。
愛宕神社付近。
近くに
「目島」「目島中道」「目島中町」
の小字名がある。
●古代官道。
幅6.7mの両側に
側溝がある道路遺構。
愛宕神社境内に接する地点では道幅16m。
愛宕神社境内に接する
道路東側に並行に
幅3〜4m・深さ2mの溝。
●「藻嶋駅家」から
「多珂郡正倉別院」へ。
■馬家から馬家の距離は16km。
直線・最短距離で
道路はつくられている。
東海村では、石橋の馬家。
遺跡は未確認。
[駅馬車と似てる
馬家はなぜなくなった?
北条の役所もうまやだった?
掘り込み事業
しっかりした礎石
丁寧につくられていた。
北への道は、
海のルート・4号線ルート。
蝦夷との戦いのため作った?
東北侵略。
輸送路確保。
道路。
海路。
何故侵略した?
719海側ルート
721年.?多賀城
811年.うやまはいし
810年.えみしのたたかい終わり
駅馬車のイメージ
侵略のため
いつなくなった?]