19/6/20 那珂市中央公民館 那珂市歴史民俗資料館歴史講座
明治天皇と西木倉植桜記念碑。
講師。仲田昭一館長。
■1908年.明治天皇が戊申詔書を発布。
本来の日本人に目覚めよ。
誠実勤労・質素倹約日々務める国民に戻れ。
これに感激した青年たち。
那珂市西木倉戊申同志会ができた。
1915年大正天皇が即位。
これを記念し西木倉戊申同志会は、
堤や道路の両側に桜の木数百本を植えた。
碑文は栗田勤。
桜は日本特有の木。
開花すれば爛漫芳香・清艶秀絶。
日本人の魂である。
桜の木が林立繁茂し郷里の美観となる。日本国家の永遠なる発展を祝す。
記念碑は現在もある。
道路の両側の桜の木は118号道路を広げた時に・・・。
■明治時代。
■朝鮮半島の問題。
朝鮮は清国の配下的存在。
日本は朝鮮半島の独立を期待。
日本はロシアの南下策への脅威・危機感があった。
朝鮮は内部分裂。独立の気概希薄。
1884年。金玉均ら日本へ亡命。
福沢諭吉等保護。
しかし金玉均は殺される。
■1894〜1895年。日清戦争。
樋口一葉の気概。
樋口一葉の師。中島歌子。
中島歌子は、父が水戸の藤田東湖らと交際があった。
18歳のとき、水戸藩士・林忠左衛門と結婚。
1864年、天狗党の乱に加担した罪で夫が自害。
歌子も連座して2か月間投獄される。
明治に入ってから歌塾「萩の舎」を小石川の自宅で開く。
上流・中流家庭の子女を門弟として繁栄。
●樋口一葉の日記。1893/12/2。
晴れ、議会紛々擾々。私行の暴き合い、隠事の摘発、さも大人げなきことよ。・・・
国の一隅に育ちて、
我が大君のめぐみに浴するは、
彼の将相にも露おとらざるを
日々迫りくる我が国の有さま、
川をへだてて火を見る様にあるべきかは・・・
内は兄弟かきにせめぎて、党派の争いに議場の神聖を損ない、
自利をはかりて公益を忘るるのともがら・・・・
恥ずかしい女子の身なれども
吹きかえす 秋ののかぜに おみなえし 
ひとりはもれぬ ものにぞ有りける

●樋口一葉の日記。1894/4月。
すきかえす 人こそなけれ しきしまの 
歌のあらす田 荒れしにあれしを

・・・かいなき女子の、何事を思い立ちてりとも及びまじきを知れども、
我は一日の安きを貧りて、百世の憂いを念とせざるものならす。
かすかなりといえども、人の一心を備えたるものが、
我が身一代の諸願を残りなくこれに投げ入れて、死生厭わず、
大地の法に従いて働かんとするとき、大丈夫も愚人も、
男も女も、何のけじめが有るべき。
笑うものは笑え、そしる者はそしれ、
我が心は既に大地と一つになりぬ。
わがこころざしは、国家の大木にあり。
・・・。
■1895年。下関条約。
清国は朝鮮国が独立自主の国であることを確認。
三国干渉。
日英同盟。
■1904〜1905年。日露戦争。
明治天皇御製。「四方の海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」
[日露戦争の開戦にあたり。
世界は全てが兄弟姉妹、平和な時代と思う。
しかし、なぜ波風が立つように思えるのだろう]
■日露戦争以後。
ロシアの崩壊。
ソ連の成立と中国大陸への共産勢力の拡大。
■1908年。戊申詔書の発布。
■植桜の記。
■混迷。共産主義の台頭。
1912年.清国滅亡。中華民国成立へ。
1914年。第1次世界大戦。
1921年.ワシントン会議。日英同盟廃棄。
大陸の排日気風強化拡大。満州鉄道の使命喪失。反満鉄運動。
1931年.満州事変。
1932年.満州国建国。
1933年.国際連盟脱退。