19/5/30 那珂市中央公民館 那珂市歴史民俗資料館歴史講座 光格上皇と飯田村。
仲田昭一先生。
■瓜連常福寺と朝廷。
●常福寺。
2世聖冏しょうげい上人と長慶ちょうけい天皇。
日本書紀私鈔並人王百代具明記
にほんしょきししょうならびに じんのうひゃくだいぐみょうき。
1398年頃聖冏が書いている。
神武天皇から102代後円融天皇に至る歴代の天皇名、
諡名(おくりな)等を列記。
1221年の承久の乱の時退位した
仲恭天皇と後醍醐天皇の重祚(ちょうそ)を除き
100代になるので百代具名記という。
南朝の諸天皇を記し、98代は長慶院法皇ちょうけいいんほうおう。
長慶天皇即位の証とされる人王百代具名記。
南北朝時代の南朝の長慶天皇の即位を確定づけた。

●後花園天皇の勅願所。
1388年.常福寺焼失。
1403年.常福寺復興。
1416年.佐竹氏・山入氏の争いで常福寺を含め瓜連地域は戦場となる。
「しかのふしど」となる。
1452年.常福寺は後花園天皇の勅願所となる。
後花園天皇の綸旨
「常陸国常福寺、御祈祷所として、
天下泰安宝祚延長を祈り奉るべし、者、
天気(天皇の意向).此かくの如し、
仍よって執達件の如し」
●後奈良天皇と勅願。
1453年.後奈良天皇から宸筆の寺号「常福寺」の勅額・法衣を賜る。
伝達は京都知恩院徳誉光然。
常福寺は知恩院の末寺となる。
●後西天皇と霊元天皇。
1676年.霊元天皇より紫衣着用許可の綸旨。
「常陸国常福寺御祈願として、天下泰平、宝祚延長祈り奉るべし」
水戸家の菩提寺となった常福寺への義公の配慮があった。
■光格天皇と飯田村。
●光格天皇。朝廷の権威回復に努力。
●光格天皇即位。第119代。
●光格天皇から後桜町上皇(最後の女帝)へ。
天子としての心構え。
●御所千度参り。
●内裏造営。
●寛政元年(1789)尊号事件。
●諡号しごう(おくりな)の復活。
●飯田村御用留。
1840年.光格上皇(仙洞御所)崩御。
那珂市の「飯田村御用留」から、
光格上皇の崩御が全国の村々へ伝えられていることがわかる。
●御用留の記載内容。
御書付申触候
去る十九日
仙洞御所被遊崩御候ニ付、
鳴物殺傷普請今日より来ル廿八日迄御停止有之候条、
其旨相心得村中寺社門前ニ至迄無洩可申触、
且右之赴き寺社よりハ別ニ申触候処、
寺社人有之村々ニテハ、
其旨通達可致候
見届刻印早々順達留り村より役所へ可返候
以上
十一月二十六日 西郷儀衛門(西郡奉行)
鴻巣より戸崎
●幕府の鳴物等停止規定。時に変化有。
将軍・大御所49〜77日。
将軍の母・14日。
将軍の妻・5〜10日。
将軍の子・3〜7日。
御三家・3〜5日。
老中・3日。
天皇・上皇・3日。
京都では将軍・大御所・天皇・上皇・50日。
●明治天皇の即位式と斉昭献上の地球儀。