19/5/30 那珂市菅谷 那珂市曲がり屋。

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03カルミヤ。

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10■根本正 顕彰碑。
翁自筆の「微光」が刻された顕彰碑。
2001年・生誕150周年を記念し
顕彰会により建立。

根本正しょう。
1851〜 1933年
那珂市東木倉うまれ。
水戸藩彰考館豊田天功・小太郎父子に学ぶ。
パリ万博の土産品
「時計」と「マッチ」を見て驚く。
英語圏の国に学ぼうと決意。
上京。
キリスト教と出会う。
自由・平等の考え方と博愛の精神をしる。
渡米。
無償の義務教育・
実力と努力で成功できること・
議会政治の大切さを実感。
帰国。
政務調査員となる。
メキシコ・中米・ブラジル・
インドの海外移民調査・商工視察。
1898〜1922年、衆議院議員。
小学校教育の無償化・
未成年の喫煙・飲酒を禁ずる法律の制定・
水郡線敷設・
横利根閘門建設・
東海村村松海岸防砂林植栽事業推進・
高層気象観測所の設置につくす。
根本正の行動は、
国家・国民への「愛情」から生まれた。
自らは
「微光(かすかな光)」
にすぎないといった。

根本正が好んだ古歌
踏まれても 根強く忍べ 路芝の 
やがて花咲く 春をこそ待て

那珂歴史民俗資料館解説書より。

11 ■白土松吉しらとまつきち 顕彰碑。
1881〜1956年。
さつまいも増産の功労者。 
1956年に顕彰碑建立。

12白土松吉 顕彰碑。

白土松吉。
三反田村に打越家2男として生まれた。
後に湊町の白土家の養子となる。
小さい時から農業に取り組む。
松吉が生まれたころの農業。
陸稲を中心に畑作。
陸稲は干ばつに弱い。
農家の収入は不安定。
干ばつに強いさつまいも・
たくさん収穫できれば、収入も安定する。
と松吉は思った。
那珂郡農会技師として、
松吉はさつまいもの増産のことばかり考えた。
一反で400貫(1,500kg)収穫できればよい時代。
松吉は一反で1,000 貫収穫を目標とした。
農家の人たちは、
「できるわけない」と松吉を見ていた。
1926年、一反あたり1,000貫の収穫に成功。
栽培は高いうねを作る。
長い苗の両はじを地面の上に出して植える。
「ブランコ植え」と名づけた。
松吉は、この栽培方法を農家の人たちに教えた。
しかし、収穫が安定せず途中であきらめかけた。
農家の人たちは「ブランコ植え」に一生懸命取り組んだ。
松吉はその姿に勇気づけられた。
改良を重ねた。
1937年、安定した収穫になる。
「白土式甘藷かんしょ栽培法」が完成した。
太平洋戦争が激しくなる。
さつまいもは食糧・アルコール原料となった。
松吉の情熱はますます盛んになった。
さつまいもの栽培技術の向上に努めた。
さつまいもを多く収穫できるようにするためには・・・。
松吉は研究に没頭。
身なりはかまわず。
はだしで自転車にのり農家をまわった。
農家の人たちは、酒好きの松吉に酒席をもうけ歓迎した。
松吉はさつまいもの増産に生涯をささげた。
地元では「さつまいもの神様」といわれた。
那珂市資料より。

13那珂町瓜連町合併記念の像。
市の幸せと繁栄。

14イチイ。