19/5/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。 
布教 百々海真どどみしん師。
東京都港区了善寺住職。
[ ]はhp制作者メモ。
●歎異抄後序。
おたすけ。 きこえる。 同じこと。
唯円は泣いている。
「一室の行者の中に信心異なることなからん為に
泣く泣く筆を染めて之をしるす」
仏法が仏法になっていない。
それを感じ泣いて筆をとった。
我もひとも 善し悪し のみ。
我もひとも そらごと のみ。
そうだけれど あいつが こいつが。
自分のモノサシが絶対化している。
●善悪。
子どもの面倒が好きなおじさんがいた。
小学生の登下校に子どもに声をかける。
あるときお菓子をあげるようになった。
こどもの親からクレームが出た。
よいこと 悪いことどちらか?
分別からの解放。
自分のモノサシは正しいのか?
損がきらいで 得が好き。
●松本梶丸先生の話。
ある年の夏の暑い最中。
庭に大きなケヤキの木があるおばあちゃんのお宅。
大きなケヤキのおかげで涼しい風が仏間を抜けていた。
梶丸先生が「ケヤキのおかげで涼しく暮らせますね」と言った。
おばあちゃんは「ケヤキの木に感謝している」と答えた。
秋の終わり。
おばあちゃんホウキを片手にケヤキの落ち葉をはいている。
「このケヤキのせいで散々。
毎日毎日はいてもはいても落ちてくる」と。
松本梶丸先生「おあちゃん、人間は身勝手だね。
夏は涼しくておかげさま。
落ち葉の頃になるとこのケヤキのせいで・・」。
おばちゃんは言った。
「あん時はあん時、今は今や」。
私たちにはこれしか無いんです。
私たちの感謝もこのおばあちゃんと一緒です。
「健康で感謝しています」とは言います。
が、病気には感謝できない。
所詮都合のいいことしか感謝できない。
私たちにはそういうモノサシしか無い。
そしてそのモノサシに自分が振り回されている。
●曽我量深先生。
結局我々は如来の本願を念ずれば、
間違いないのは現に罪悪生死の凡夫であること、
これのみが真実である。
これ以外、人生何が真実か。
・・・ただ如来のみ善を知り悪を知ろしめして、
選択本願をおこして「罪悪生死の凡夫よ」と我々をよばれている。
●暁烏敏先生。
何事でも差別的に聞く人は
「この世のことはアテにならんが、
南無阿弥陀仏ひとつがアテだ」という。
それは相対である。そういうことでない。
・・・ある処に行ったら、
「娑婆のことは捨てて念仏ばかり称えることにした」
という人があった。
そういうのは念仏を持っておるのだ。
●藤原正遠先生。
分からぬから南無阿弥陀仏
助がないから南無阿弥陀仏
親も兄弟も間に合わぬから南無阿弥陀仏
自分の心も体も間に合わぬから南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏も間に合わぬから南無阿弥陀仏
そうなったらすべてがお恵み
お恵みのまんまん中
南無阿弥陀仏
●「損が嫌いで得が好き」。
元気ならば長生きしたい。
だけど長生きしているうちに退屈にもなる。
損得の尺度ではどうなっても喜べない。
誰も不真面目ではないし自分なりに幸せを求めて頑張ってきた。
が、実は自分がどうなりたいのかがわからない。
どうなることが真の満足なのか。
これは、現代が直面している課題。
●不老長寿のはなし。
老化を防ぐ遺伝子の研究がされている。
ブタが人間のスイゾウをつくる。
ロボットアームの開発が進む。
衰えない肉体が実現できるか。
2050年に何歳まで生きれる?
150歳まで生きれるという。
その時の死因はなにか。
自死が一番多い。
天上界 6道の上。
本当に求めて。遠のく死 問われる生。
思い通りになっても大変。
人間の絶対の幸せはない。
●人間の善悪のモノサシ。
ユリ8本 2本。
新しく発注するようになった花屋さんのはなし。
寺でユリを8本花屋さんに発注した。
花屋さんはユリを箱に入れてすぐに持ってきてくれた。
2本多かった。多分サービスしてくれた。と勝手に判断した。
花屋さんがとても良い花屋さんに思えた。善に思えた。
しばらくしたら花屋さんから電話が来た。
間違って配達した。
在庫がないので2本戻してほしい。今からとりにいく。
急によい花屋さんが悪い花屋さんに思えた。
ひとの善悪の基準はすぐにかわる。
人の物差しはあてにならない。
本当の物差しは仏さましかもっていない。
●安楽浄土をねがいつつ 他力の信をえぬひとは
仏智不思議をうたがいて 辺地懈慢へんじけまんにとどまるなり「大経和讃」
疑惑胎生を辺地という。これは百歳を経て浄土に参るなり
●ねじれ花 素直に咲きて ねじれけり
そらごと。
たわごと。
●世間虚仮唯仏是真
この世にある物事はすべて仮の物であり、
仏の教えのみが真実であるということ。
聖徳太子の言葉。
●南無阿弥陀仏はウソから出た真。
出た真がウソを知らせる。
●唯円は現実を捨てられなかった。
●原文を声を出して読む。これがよい。

[百々海真師の師は林暁宇師。
林暁宇師の師は暁烏敏師。
林暁宇師16才の時北海道で暁烏敏師より
「本当にしたいことがあったらそれをやれ。
それで死んでもくいなかろう」
という言葉をもらう。
さらに林暁宇師が石川県明達寺に暁烏敏師を訪ねたとき。
「君は坊主になれ。坊主は乞食だぞ。
今後衣食のことは一切仏さんにまかせ、
君は君の願いに精進せよ」
の言葉ももらう。
林暁宇師は、師の言葉通りの生活を送ることになる。
本2冊。
●「ほんとうに したいことがあったら それをやれ 
林暁宇 書簡集」暁宇会選書
北海道に生れ、縁あって石川県に移る。北海道を放浪。
四国の小豆島に移る。北海道に移る。石川県に移る。
●暁天講座 講演録
「驚き・発見・出立」百々海真著 真宗大谷派札幌別院」
真宗大谷派札幌別院でおこなわれた3日間の講演録]