19/4/27 東海村古文書と歴史を学ぶ会講座 縄文文化の展開と御所内貝塚。
宮内教男先生。[  ]はhp制作者メモ。
●東海村の遺跡。
草創期。15,000〜12,000年前。堀米ほっこめA遺跡。
岡前おかまい遺跡。おかまえではない。
早期。12,000〜7,000年前。寺堀遺跡。
前期。7,000〜12,000年前。石神外宿貝塚。
中期。5,400〜4,100年前。真崎貝塚。
後期。4,100〜3,400年前。御所内貝塚。平原貝塚。
晩期。3,400〜2,800年前。御所内貝塚。
●縄文土器は先がとがっている。
土にさして使用した。尖底土器せんていどき。
●貝塚にヤマトシジミがあることは、汽水だったことを意味する。
●東海村から出土しているミミズク形土偶は、目が丸くない。
キツネのような目。東北地方のミミズク形土偶に似ている。
●弓矢の使用。小さな動物を捕るのに必要だった。
その後、弓は人間の戦いの道具になっていく。
●江戸時代は縄文という言葉はなかった。
明治になりモースが大森貝塚をみつけ、縄文という言葉ができた。
●7,000年前は温かく縄文海進があった。
あたたかくなり南極の氷が溶けたため海水面が高くなった。
その後、気温が下がり海面はさがった。
海面が下がった理由として最近は、
南極の氷が多くなったためでなく、海水が多くなりその重さで海底が下がったといわれている。
●縄文時代は長い。期間の定義はいろいろある。難しい。

[縄文時代は、16,000年位続いた。
博物館などにいくと縄文時代のコーナーと弥生時代のコーナーは
同じくらいのスペースが多い。
弥生時代は数百年。
縄文時代は、期間が長い。
西暦2,000年の10倍くらいの時間がある。
縄文時代には、多くの出来事があったのだろう。
縄文時代を考えるとき時間を考えていないといけない。気がする]