19/4/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
松岡満優師。
浄土真宗本願寺派 富岡山蓮照寺住職。群馬県富岡市。
●お寺は富岡製糸工場の近くにある。
●神戸列車事故。
家宅無常の世界。
朝は元気に出かけても何が起きるかわからない。
念仏のみでがダイナミックなところ。
なぜ起きる。
諸行無常。
なぜ。
心で感じるしかない。
仏法がありがたい。
曽我 量深先生は、宗教は情緒なり。といっている。
心だ。
アンドロイド菩薩では、なんだろな。という気持ち。
●わたしの娘、唯ちゃん。
唯という名前は、正信偈の「唯可信斯高僧説」からいただいた。
唯は生後8カ月の時に危篤に陥った。
メチルマロン酸血症・難病です。
健康な人は、食事をすると、それを分解・吸収し、排泄する。
唯ちゃんは、
1日でタンパク質を体重1キロに対して1グラムまでしか分解できない。
群馬県の病院では治療できず、栃木の病院で治療してもらった。
どうして難病をもった娘が生まれてきたのだろう。
念仏のみぞ、不思議というしかない。
どうしたら救うことができるだろう。
毎日そんなことばかり悩んでいた。
あるとき不安を妻にはなした。
妻は、笑いながら「唯は唯です・・・」と答えた。
その時、気付かされた。
布教のとき「青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光・・・」といってきた。。
唯ちゃんになると、唯ちゃんが別な色に光ってほしいと考えていた。
しかしそれは違う。
唯ちゃんは唯ちゃんのまま光ってくれればいいと思えだ。
妻の笑顔に涙をこぼした。
正信偈「唯可信・・・」。ただこの高僧の説を信ずべし。
唯−ただ−とは何となくではない。
無気力でもない。
おのれのはからいをこえた「他力」の世界にまかせる。
「どうしたらいいんだ」ではない。
唯ひたすらに南無阿弥陀仏とともに強く明るくいきる。
真実は南無阿弥陀仏。
聖道慈悲の心あり。
他力の中で生きていた。
しかし気づかなかった。
浄土はなくてはならないもの。
みなことごとく浄土にいたる。
念仏くらう。
身に受ける。
南無阿弥陀仏は領収書である。
●教えようとする人は教えられない。小林秀雄。
[小林秀雄「教えようと思っている人から教わった人は一人もいない」
教わって覚えたものは浅いけれど、自分で苦しんで考えたことは深い]
●息子、龍真くん。
龍真 Ryushin  名前にyuiが入っている。
今日もゆいとふたりでおとりつぎさせていただいた。還相回向。

■前住職のはなし。
松岡満優師のおはなしにあった
「もちはどうしてカビが生えるか。・・・はやく食べないから」
宗教はこころ。
亡き人をしのぶ。亡き人と共に生きる。
これがテーマ。
わたしたちはご縁で生きている。
自力はご縁をたつ。