19/3/23 東海村 古文書と歴史を学ぶ会講座 
晴嵐荘の開設と東海村。
宮内教男先生。
■結核療養所の設立。
●結核。
死の病・国民の病。
●結核療養所。
1887年.海兵院。神奈川県。
1889年.須磨浦療養所。兵庫県。
1917年.大阪市立刀根山病院。

●結核問題の深刻化。
結核死亡率増。昭和初期。
軍隊での肺結核の蔓延。
徴兵検査対象者の体力低下。

■結核療養所村松晴嵐荘の開設。
●1934年.内務大臣に結核予防対策答申書提出。
●1935年。除役結核軍人療養施設として
財団法人村松晴嵐荘の創設・ 付属看護婦養成所設置。
日本結核予防協会。

■国立療養所村松晴嵐荘。
●1937年。帝国議会で審議。
●1937年。国立結核療養所官制公布により内務省に移管。
●村松晴嵐荘の特色。
外気小屋と作業療法。

■外気小屋事件。
●1939年.患者による看護婦殴打事件が発生。
村松晴嵐荘 外気小屋事件といわれる。
[外気小屋事件により結核療法の見直しが行われた。
従来の予防・隔離を中心とした療養方針を転換。
結核患者の職業指導に先駆的に取り組んだ]

■「組織的治療法」の提唱。
●散歩療法・作業療法を根幹とする組織的治療法。
100m往復1回から開始など。
軽作業など。
●職業教育。
専門的な技術を身に着ける。
畜産・農園芸・裁縫など。

■晴嵐荘と東海村。
●東海村へ経済的な恩恵。
無医村の解消。

■その他。
1935年 除役結核軍人療養施設として
財団法人村松晴嵐荘の創設・ 付属看護婦養成所設置。
1937年 国立結核療養所官制公布により内務省に移管。
1938年 厚生省に移管。
1942年 傷痍軍人療養所村松晴嵐荘となる。
1945年 国立療養所村松晴嵐荘となる。
1976年 国立療養所晴嵐荘病院と改称。 
2004年 国立病院機構 茨城東病院と改称。