19/3/17 常陸大宮市緒川 第9回文書館カレッジ。
佐竹氏と「南方三十三館」の仕置。
シリーズ 常陸大宮と佐竹氏 その8。 
緒川総合文化センター。
中根正人先生。
■戦国時代の関東。
●1454〜1482年。
享徳の乱。
戦国時代は関東からはじまった。
鎌倉(古河)公方と関東管領山内上杉氏の対立。
30年間続く。
関東の諸勢力、公家方と上杉方に分かれ争う。
●乱後〜16世紀前半。
山内氏・扇谷上杉氏の対立。
北条早雲台頭。
●1560年。
長尾景虎(謙信)関東を攻める。
関東は、上杉氏と後北条氏の戦い。
●1569年。
越相同盟。
上杉氏と後北条氏の同盟は、
関東反後北条勢力の謙信へ不信を高める。
●1570年代。
反後北条勢力、武田信玄・謙信と結ぶ。
反後北条氏勢力、佐竹氏を中心に結集。
●1580年代。
武田氏滅亡・織田氏消滅。
後北条氏勢力が下野・常陸に進出。
「東方之衆」豊臣秀吉と結び応戦。
伊達政宗・佐竹氏と対峙。
●1590年代。
豊臣秀吉による小田原攻め。
後北条氏降伏。

■戦国時代の常陸国。
●享徳の乱。
下野・上野・下総ほど外部からの影響はうけず。
●〜1550頃。戦国前期。
*北部。
佐竹の乱。佐竹氏と山入氏の内紛。
部垂の乱。佐竹氏当主義篤と弟義元の内紛。
*中南部。
大掾氏・小田氏・江戸氏が対立と融和を繰り返す。
●戦国中期(1550頃〜1577年)
*佐竹氏。外に勢力を向ける。
*佐竹氏・小田氏の対立。
大掾氏・真壁氏と結んだ佐竹氏が小田城を奪う。
●戦国後期(1578〜1591年)
*「東方之衆」と後北条氏と結んだ岡見氏・土岐氏・菅谷氏が対峙。
*大掾氏・江戸氏の戦い。
佐竹氏・結城氏も巻き込む。

■「南方三十三館」とは。
水戸の南にあった諸勢力。
33館があったわけではない。
たくさんあったという意味。・・・と思われる。

■「南方三十三館」の滅亡に関する通説と研究史。
●1951年。
佐竹氏が太田城に鹿島・行方両郡の領主を召還。
召還された領主を佐竹氏が殺害。
間もなく佐竹氏は鹿島・行方両郡に出兵。
佐竹氏は鹿島・行方両郡を手中に収める。

■「南方三十三館」の実像。
■過去帳にみえる「南方三十三館」の氏族。
茨城町和光院・水戸市六地蔵の過去帳より。
●鹿嶋郡。鹿島氏・中居氏・烟田氏。
●行方郡。嶋崎氏・玉造氏・相賀氏・小高氏・手賀氏・武田氏。

■その他の資料から確認できる「南方三十三館」の氏族。
●御書案。喜連川文書。
*鹿島郡。津賀氏。
*行方郡。山田氏・下河辺氏・芹澤氏。
●小川岱状。
*鹿島郡。札氏。
●佐竹之書札之次第。
*鹿島郡。林氏。
*行方郡。麻生氏。
●その他。
*鹿島郡。春秋氏・立原氏・中村氏。
*行方郡。鳥名木氏。

■南郡諸士譜にみえる氏族。
小美玉市・野口氏。鉾田市・武田氏。行方市・小貫氏。

■天正18年〜19年の常陸地域における政治史。
■天正17年。
11月。秀吉、北条氏に宣戦布告。
●常陸国。
*秀吉に味方。佐竹氏・真壁氏・島崎氏。
*北条氏に味方。岡見氏・土岐氏・菅谷氏。
*中立。大掾氏・江戸氏・鹿島氏。

■天正18年。
1月。小田氏・小田城奪還失敗。
3〜4月。秀吉出兵。
佐竹氏出陣。江戸崎城・牛久城を攻撃。
5月。義宣、秀吉に拝謁。
6〜7月。佐竹氏、忍城の攻撃に参加。
8月。秀吉、義宣に所領安堵。
11月。義宣上洛。
12月。佐竹氏、水戸城を攻撃。
常陸大掾氏滅亡。
■天正19年。
1月。義宣、帰国。
2月9日。事件勃発。
2月中旬〜3月。
佐竹氏、鹿島・行方を攻撃。両郡を平定。
佐竹氏の常陸平定成る。
■謀殺事件の経過。通説と史料の比較検討。
●事件の勃発時期。
通説。天正19年2月9日。
●事件の起こった場所。
通説。太田城。
史料から。
*六地蔵過去帳などから。
嶋崎氏の殺害場所。上小川(大子町須藤)
*鹿島氏。常陸大宮、山方城で殺害。
*中居氏。里野宮村(常陸太田市)。
*烟田氏。常福寺村(常陸太田市)。
*玉造氏。大窪正伝寺(日立市大久保町)。
*札氏は15年潜伏後、札村に戻る。
*青柳武田氏は佐竹氏の追撃を逃げ切る。

●事件の背景は?
通説。豊臣氏からの命令があったといわれる。
史料から。
豊臣氏からの命令に関する資料は確認できない。
小田原に参陣した嶋崎氏・忍城攻めに加わった烟田氏も
佐竹氏が謀殺している。
事件は佐竹氏の統治体制を整えるためになされたものか。

■戦後の動き。
史料で合戦の経緯をしることはできない。
鹿島城では、当主の室が徹底抗戦をした。

■その他の「南方三十三館」
●佐竹氏の鹿島・行方攻め。
当主を謀殺し、その統治基盤は潰した。
血筋を根絶させるまではしなかった。
●鹿島・行方は中世を通じて「南方三十三館」の勢力下にあった。
族滅させることによる在地の反発を恐れた可能性。
●結果として、彼らの多くは地元で存続。

■おわりに。
●「南方三十三館」謀殺事件。
佐竹氏が豊臣政権に与えられた所領。
名実ともに自分のものとし、
統治体制を確立する画期となった。
●領内統一後、佐竹氏は居城を常陸太田から水戸にうつした。
●一族中心の体制から、譜代・直臣層中心の体制へ移行。
●「南方三十三館」の諸氏。
所領は失うが、多くの家が血筋を残す。
両郡各地に残る。