19/2/23 東海村古文書と歴史を学ぶ会 
日露戦争と陸軍大尉川崎好次郎。
仲田昭一先生。
[ ]はhp制作者メモ。
■日本の朝鮮半島安定化策。
事大主義。
[小が大に 事つかえること・強い勢力に付き従う考え]
1870年・イギリスは、オーストラリア・ニュージーランドを占領。
1875年・樺太千島交換条約。
[日本とロシア間で北方領土として
ロシアが樺太全島・日本が千島列島すべてを領有する]
江華島事件。
[朝鮮の江華島付近で日本と朝鮮の間で起きた武力衝突]
1876年・日鮮修好条約。
1884年・金玉均ら政権をとるが3日で瓦解。
金玉均は日本へ・福沢諭吉らに保護される。
1894年・金玉均は上海で殺される。

■日清戦争。
1894〜1895年。
[朝鮮の政治的動揺をめぐる日本と清国の戦争。
下関条約が締結される]

■樋口一葉の日記。
明治26年・1893年12月2日。
●2日、晴れ。議会紛々擾々。
私行のあばき合い、隠事の摘発。
さも大人げなきことよ。
半夜眼をとじて静かに当世の有さまをおもえば、
あわれいかさまに成りて
いかさまに成らんとすらん。
かいなき女子の何事をおもいたりとも
・・・
国の一隅にうまれ一端に育ちて、
我大君のみ恵に浴するは彼の将相にも露おとらざるを、
日々せまり来る我国の有さま、
川を隔てて火をみる様にあるべきか。

●安きになれてはおごりくる人心の、
あわれ外つ国の花やかなるをしたい、
我が国振のふるきを厭いて、
うかれうかるる仇ごころは、
・・・
流れゆく水の塵芥をのせてはしるが如く、
何処をはてととどまる処をしらず。
かくてあらわれ来ぬるものは何ぞ。

●外は対韓事件の処理むづかしく、
千島艦の沈没も、
我れに理ありて彼れに勝ちがたきなど、
・・・
党派のあらそいに議場の神聖をそこない、
自利をはかりて公益をわするるのともがら、
かぞうれば猶指もたるまじくなん。

●にごれる水は一朝にして清め難し。
かくて流れゆく我が国の末、
いかなるべきぞ。
外にはするどき鷲の爪あり、
獅子の牙あり。
インド、エジプトの前例をききても、
身うちふるい、
・・・
かかる世にうまれ合せたる身の、
する事なしに終らんやは。
なすべき道を尋ねてなすべき道を行わんのみ。
さても恥かしきは女子の身なれど。

吹かへす 秋のゝ風に をみなへし
ひとりはもれぬ のべにぞ有ける


■明治27年・1894年4月・
おもいたつことあり、うたうらく、

すきかへす 人こそなけれ 敷島の
うたのあらす田 あれにあれしを

・・・

道徳すたれて人情かみの如くうすく、
朝野の人士、
私利をこれ事として国是の道を講ずるものなく、
世はいかさまにならんとすらん。

かいなき女子の何事を思い立たりとも及ぶまじきを知れど、
われは一日の安きをむさぼりて、
百世の憂を念とせざるものならず。

かすか成といえども、
人の一心を備えたるものが、
我身一代の諸欲を残りなくこれになげ入れて、
死生いとわず天地の法にしたがいて
働かんとする時、
大丈夫も愚人も、
男も女も、
何のけぢめか有るべき。
笑うものは笑へ、
そしるものはそしれ、
わが心はすでに天地とひとつに成ぬ。
わがこころざしは国家の大本にあり。
・・・

■下関条約。1895年・
日清戦争で日本が勝利。
第一条には、
清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主国を確認し、
朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼は永遠に廃止する
とある。
[1894年8月から
日本陸軍は清国陸軍を撃破・
朝鮮半島・遼東半島を制圧。
9月・
日本海軍は艦隊決戦に勝利。
旅順港・威海衛を攻略。
翌年2月・黄海・渤海の制海権を掌握]

■三国干渉。
1895年・
ロシア・フランス、ドイツが日本に対して、
遼東半島の清国への返還を求めた。
日本は遼東半島を返還した。
1898年・
ロシアは、遼東半島の旅順・大連を租借する。
強まるロシアの脅威。
明治政府は軍備拡張を推進。
戦争での賠償金は軍事費に回した。
不足分は国民への増税。
国民は「臥薪嘗胆」と耐える。
1898年・
アメリカはミッドウェイ・グアムへ進出。
1899年・アメリカはフィリピンを平定。
1902年・日英同盟。

■日露戦争。明治37年〜38年・1904年〜1905年。
■セルドォア・ルーズベルト。
米国は日本移民が米国に渡来することを拒む。
日本の過剰人口を朝鮮満州に値付くことを寛過すべき・・・。

■根本正・第20回帝国議会報告。
明治37年4月20日発行。
・・・
議会に於いて政府は軍費5億7千6百万を議会に要求し、
議会は政府案の地租2厘を減じ、
又塩絹布税を否決し、其の他修正を加え、
満場一致を以て可決せり。
・・・。
■スタンレー・ウォシュバン著・乃木大将と日本人・厩の人影。
[米国従軍記者が書いた。
乃木大将の近くで感じた武士道精神と詩情]
日本海海戦勝利の翌日、祝賀会・・・
長靴の上端ほ膝にひらつかせ、
外套の襟を開いて、
陸軍大将の質素な軍服を覗かせている。
・・・
従軍記者は乃木大将の左側に席を与えられた。
・・・
笑いながら食卓を回って、
まだ残っている瓶を探し歩く。
探し当てると子供のように笑いつつ自席に戻って、
重々しく私たちの銘々の盃に平均についでくれる。
・・・
構内を出るとき、厩の暗い影の中に、
長靴に褐色の外套の人が立ち、
荒削りの馬槽に寄り添って、
太った栗毛の頸と鼻を撫でてやっている姿が眼についた。
頭を我が胸に引きつけ、
一方の手に菓子を持って、
物欲しげに差し伸べる口許へ入れてやる。
彼が暗がりから出て来ると、
・・・
それは乃木大将その人であった。
旅順口において10万の兵を犠牲とした将軍の姿であったのだ。

■陸軍歩兵大尉川崎君の碑。
碑は村松虚空蔵尊本堂右側にある。
陸軍大将乃木希典篆額。
陸軍教授丸山正彦撰文。

嗚呼陸軍歩兵大尉川崎君は旅順の攻城に戦死せり、
君名は好次郎、常陸国那賀郡村松村白方の人
・・・
明治29年優等を以て陸軍士官学校を卒業し、
中尉に累進し台湾の守備・・・
陸軍大学校に入り修学2年、
・・・
大尉に任ぜられ出征軍に従いて、
明治37年5月遼東に上陸し沿道の敵を攘い、
・・・
君中隊長として尽功あり、
此日我軍死傷4千に及、
君自ら先頭に立ち衆を励まし奮闘す、
突撃功を奏して日暮南山の嶮を抜く、
・・・
君は南化の軍に従いて従軍、
双台溝土城子等に連戦し遂に水師営を略取す、
敵兵塁を築き壕を深くし、
以て旅順の北背を固守す、
8月20日我軍大挙して攻む、
防禦頗る頑強にして輙く抜き難く、
之に次ぐに強襲を以てす、
君択ばれて中隊を率いて21日午前3時、
水師営南方高地に突入し、
夜暗に乗じて鉄条網を切断し敵塁に肉薄す、
被弾雨注し二龍・松樹両山の砲台亦猛火を送り火傷等なし、
君泰然部下を激励して猛進す、
□隊殆どつき君数創を被る、
援隊の至る亦皆斃る、
天明戦漸く罷むと雖も遂に君をみる能わず、
時に年二十有九、
・・・。

日露戦争開戦。明治37年2月10日。
明治37年8月19日〜24日・第1回旅順総攻撃。
明治37年10月26日〜30日・第2回旅順総攻撃。
明治37年11月26日〜12月6日・第3回旅順総攻撃。
明治37年12月5日・203高地占領。
明治38年1月2日・旅順開城。
旅順攻撃戦死者・約5万9千人。

■日露戦争以後。
ロシアの崩壊・ソ連の成立。
中国大陸への共産党勢力の拡大。
■朝河貫一。
1873〜1948年。
福島県二本松市出身。
アメリカのエール大学教授となる。
アメリカで死去。
アメリカで日本を憂いた。
■日露紛争 朝河貫一著。
ロシアの領土的野望に対抗し、
清国の主権と
満洲朝鮮における機会均等
を守る旗手としての日本の役割を説いた。

■日本の禍機 朝河貫一著。
[日本は、
●日露戦争まで。
ロシア南下に対抗。
清国・韓国の主権を守ろうとした。
西欧と満洲朝鮮における機会均等を掲げた。
英・米の支持を得た。
●日露戦争後。
日本はロシアの満州での利権を継承。
清国の主権を侵す。
機会均等をすてる。
満州の利権の独占・拡大を図った。
英米と対立。
英米は支那を支援。

●満州事変・支那事変・太平洋戦争の要因となった]

■戊申詔書。
明治41年・1908年・
明治天皇は戊申詔書を発行。
誠実勤労・質素倹約に日々務めることを説いた。
感激した青年たちにより、
全国各地に戊申青年会・戊申同志会が結成された。
地域社会の気風改良運動がおきた。
那珂市の場合・西木倉戊申同志会がある。
活動のひとつの例。
1915年・大正天皇即位。
大正天皇即位を記念して
西木倉の小場江用水の堤上・
大宮街道の両側に
桜の木数百本を植えた。

■混迷・共産主義の台頭。
1912年・明治45年・清国滅亡・中華民国成立へ世界共産党結成。
1914年・大正3年・第一次世界大戦。
孫文・中華革命党結成。
日本の対華21箇条要求。
1917年・大正6年・ロシア革命・ソ連誕生。
1921年・大正10年。ワシントン会議・
日栄同盟廃棄。日本孤立化へ。
1927年・昭和2年・山本条太郎・満鉄社長就任。
日本国内の大正デモクラシー。
日露戦争の意義・満州鉄道の使命喪失。
大陸の排日気風の強化拡大・反満鉄運動。
10月11日・北京で張作霖への挨拶・会談。
満州がロシアからの侵略を免れたのは
日露戦争の結果?
日露戦争に、
日本軍は10万人の将兵の命を捨てて
満州の野を鮮血に染めた?
満鉄の希望した鉄道線5本に反対・妨害する?
●山本条太郎。
「張作霖を薫化指導融和協力して満州開拓、
その経済力を利用し日本の国力強化を」
 
■満州問題の混迷。
1928年・昭和3年・関東軍張作霖を爆殺。
1931年・昭和6年・満州事変。
1932年・昭和7年・満州国建国。
(昭和9年・溥儀即位・満州帝国成立)
1933年・昭和8年。国際連盟脱退。
斉藤博駐米大使就任。
1935年・昭和10年。ニューヨーク・日米軍縮公開討論会・
斉藤博演説・
「東亜は東亜に任せ、西洋は西洋に、中東は中東に、
アメリカはアメリカに、各々その所を得ることが重要である」
1936年・昭和11年・
西安事件・中華民国蒋介石、中国共産軍により監禁。
日本排斥へ。
1937年・昭和12年・日華事変。
1939年・昭和14年・欧州大戦勃発。
1941年・昭和16年・日ソ中立条約。