18/12/10 常陸大宮市野上 本泉寺報恩講 真宗本願寺派。
■11:00 法話。 青蓮寺住職 藤井智学師。
とても良い話だった。筆記具を忘れメモとれず残念。
●いのちについて。
ご縁があって今ここにいる私たち。
宇宙ができてから150億年。
それからいろいろな縁が続き、父と母がいて、
今私がここにいることができる。
縁とは不思議なもの。
100才まで生きても、
もっと生きたいという人にとっては100才では満足できない。
短い人生でも日々を充実して生活できれば幸せと考える人もいる。
ガンを知らされた女性。
毎日目が覚めることに感謝する。手が動くことに感謝する。
見方が変わるときがある。
「今、いのちがあなたを生きている」
ご縁があって生かされている自分がいる。かけがいのない大事ないのち。
●妙好人才市さんの言葉。
ありがたいな、ご恩、思えば、みなごをん。
・・・
ことごとくみな、なむあみだぶつで、ござります。
ごをん、うれしや、なむあみだぶつ。

●提灯の話。
・・・
提灯は自分の足元しか照らさない。
自分の生き方と仏教徒のかかわりで似たところがある。
足元をよく見て歩く。

●作家高史明さんの言葉。
ある日、高さんの家にひとりの女子中学生が相談にきた。
女子中学生の悩みに対し高さんはいった。
「あなたが死にたいと思っているのは、頭で思っていることか。
あなたが死ねば頭が死ぬ。手も足も死ぬ。
手をひらいて手に相談しなさい。
あなたは足の裏で支えられている。
足の裏を洗い足と相談しなさい」
女の子は帰って行った。
後日、女の子から高さんに手紙が来た。
「足の裏の声が聞こえてくるまで歩きます」
自分のものさしだけで考えず、いのちの願いに耳を傾けることが必要。
「今、いのちがあなたを生きている」と教える。

●ある学生が業界大手の入社試験をうけた。
1次試験・2次試験・3次試験がある会社だった。
2次試験は、複数人で面接を受けた。
試験終了後、部屋をでようとしたら白髪のおじいさんに声をかけられた。
学生はおじいさんがだれかわからなかった。
おじいさん「あなたはおかあさんにそだててもらったのか」
学生「父が早くなくなりおかあさんの手でそだててもらいました」
おじいさん「わたしも同じだ。ところでおかあさんの体をあらってあげたことがあるか」
学生「ありません」
おじいさん「わたしも洗ってあげたことがない。お願いがある。
もし、3次試験をうけることができるなら、それまでにおかあさんの体を洗ってあげて欲しい」
学生は家に帰り考えました。
からだをあらうといっても恥ずかしい。
手を洗ってあげるのも恥ずかしい。
足を洗ってあげよう。
学生はタライとお湯を準備しておかあさんの帰りを待ちました。
おかあさんは、ミカン畑のミカンを運ぶ仕事をしていました。
山の上の方からふもとまでミカンをかごに入れて運びます。
夕暮れ仕事を終えておかあさんが帰ってきました。
学生は入社試験での話をしました。
それでおかあさんの足を洗うことにしました。
タライにお湯を入れおかあさんに足を入れてもらいました。
学生がおかあさんの足を触った時です。びっくりしました。
おかあさんの足のつめはほとんどありません。
重い荷を背負いミカンを運ぶため足に力が入るからでしょう。
足のうらを触りました。
足のうらは石のように固くなっていました。
学生は大変驚きました。
「こんなになるまでおかあさんはわたしのために働いてくれていたのか」
学生は3次試験を受けることができました。
3次試験を受けに行くと白髪のおじいさんがいました。
白髪のおじいさんは社長さんでした。
学生は社長に言いました。
「私は大事なことを気づかせていただきました。
会社に入ることよりも大事なことを教えていただきました。
ありがとうございました」

12:00 お斎を
いただく。
13:00 お勤め
正信偈など。