18/11/26 那珂市本米崎 上宮寺報恩講 真宗本願寺派。
■6:00法話
●如来、無蓋むがいの大悲をもって
三界を矜哀こうあいしたまふ。
世に出興しゅつこうするゆえは、
道教を光闡こうせんして、
群萌ぐんもうをすくひ恵むに
真実の利をもってせんと欲してなり。

●親鸞聖人。
9才で比叡山。
15才法然上人をしる。
●法然上人。
美作国久米で生まれる。
父は押領使。
9才のとき父は夜討で殺害される。
かたきをうってはならない。
許せるような人間になれ。
と父の遺言。
仏門にはいる。
比叡山延暦寺で修行。
一切経を5度読んだ。
仏の本願に出会い、全身の毛がたった。
1000すじの涙を流す。

●グレートジャーニー。
科学博物館にいく。
380万年前。
タンザニアの人間の足跡。
どのような人間が歩いた?
足の大きさは26p・18p・21p。
足の大きさは違うが同じ歩幅で歩いている
相手をおもうこころが伝わる。

●幼児心理学のはなし。
3才の花子がケーキをたべる。
残りのケーキを戸棚に戻した。
おかあさんはそれを冷蔵庫にいれた。
花子が戻ってくる。
3才のこどもは冷蔵庫にあると思う。
おかあさんは花子の心を理解。
相手の立場に立って考えることができる。
阿弥陀は相手のことを考える。

●鈴木健二さんのはなし。
熊本・青森で暮らしている。
東北のお母さん・ありがとうの本。
熱をだしたせいか、
障害をもった子供がうまれた。
次の子をどうしようか悩む。
2人目・弟がうまれる。
弟は2才のときに気づく。
「おにいちゃんはバカ?」
幼稚園で七夕があった。
おにいちゃんがいじめられた。
おとうとは兄の前にたちはだかった。
弟は
「ぼくをぶって」といった。

いつくしみの心。
無条件に救う。
明らかにしたのは親鸞聖人。

■10:30法話 
西原祐治師 
千葉県柏市西方寺住職
●十方微塵世界の 
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば 
阿弥陀となづけたてまつる 

浄土和讃
十方の数限りない世界にいる念仏の衆生を
光明の中に摂め取り捨てない。
摂取不捨の徳。
それゆえに阿弥陀如来という。

●落語・眼が見えない。
男が両目をわずらった。
医院にいく。
医師「これは手遅れだ」
男に皿を渡し目の下に持つよういう。
男「目を洗うのですか?」
医師「目をくり抜きます」
医師はすばやく男の眼球をくり抜く。
医師は助手に「薬液に漬ける」
その後、医師は男の眼球をはめ込もうとする。
うまくいかない。
医師「漬けすぎてふやけた。縁側で陰干しに」
助手に運ばせる。
しばらくする。
助手が医師を縁側へ呼ぶ。
助手「干していた眼球がない」
庭先を見ると隣家の犬が横たえている。
医師「犬が眼球を食べた」
医師は犬を押さえ犬の眼球をとった。
男の目に犬の目をはめ込んだ。
医師「今日は帰ってよい。2日後くるように」
男は2日後医院にいく。
男「今までよりよく見えます。
夜でも昼のように明るく見えます」
医師「それは良かった」
男「でもひとつ困ったことがあります」
医師「何?」
男「電柱を見ると、小便がしたくなる」

●ほとけの世界
お経に書いてある。


●仏教婦人会総連盟 
機関誌「めぐみ」がある。
漫画の原稿を担当していた。
主人公は、つつみかおりさん。
母の日のプレゼントを考えていた。
花・ツイーツ。
投稿があった。
内容は、母の日に大きな箱を娘からブレントされた。
箱をあけると、
中に小さな箱が5つ入っていた。
1つめの箱・ウエハース2個。
「若くね」の思いからか。
2つめの箱・マシュマロ2個。
「柔らかくね」の思いからか。
3つめの箱・手焼きせんべい2枚。
「バリバリと働いてね」の思いからか。
4つめの箱・おかき2個。
「ちょっぴり辛く、
間違っているときは叱ってほしい」の思いからか。
5つめの箱・紅白の角砂糖。
「甘く」の思いからか。

今までは、娘のことをおもい願っていた。
しかし、プレゼントをもらい
娘に願われていることを知った。

主人公のかおりさんは、
投稿した母親を取材した。
父親は娘さんが2才の時に
交通事故で亡くなった。
お母さんは働くことになった。
最初は食堂で働いた。
娘から「帰りが遅い」といわれた。
それで、食堂をやめて
ドライバになった。
娘はその後結婚することになった。
娘の結婚式の日に、
亡くなった主人に報告した。
ずっと娘のために頑張ってきた。

でも、疑問に思った。
娘がいてくれたおかげで頑張れたのだと。

考え方によって、
受け取り方がかわる。
仏の世界・私の世界を考えてもおなじ。
私の世界は、「強く・かしこく・美しく」。
常にプラス思考となる。
仏の世界は違う。
はかなきもの・だれでも阿弥陀如来は受け止めて下さる。
摂取不捨の世界だ。
阿弥陀如来は全ての凡夫を救って下さる。
そのことを親鸞聖人は
私たちに教えて下った。
努力の方向性が私たちと仏ではちかう。

●強いものは恐竜とおもっている。
恐竜時代は1.7億年もの間続いた。
2足歩行。
高効率の呼吸システムをもっていた。
鳥類にも見られる気嚢。
気嚢が骨の中に入り中空の含気骨となる。
骨格自体の軽量化になる。
ペルム紀以降は酸素濃度35%。
菌類による木材分解で酸素濃度は低下。
ジュラ紀後期は酸素濃度は12%。
気嚢は低酸素下でも生存できた。
哺乳類型爬虫類は低酸素下で大部分が絶滅。

●一休さん・宗純。
出生地は京都。
出自は後小松天皇の落胤。
母は藤原氏。
宮中を追われ民間に入って一休を生んだ。
6歳で京都の安国寺。

人間とは何者か? 師の質問に一休さんはこたえる。
人間とは、悟りの世界に帰るほんの短い間、
迷いの世界であるこの世にいる、仮の存在。すべては空。
と答える。
仮の世で一休みしている存在。

●ロバート・ヤーキーズ
チンパンジーは5秒まで覚えていられる
ロバート・ヤーキーズ

●ヘレン・ケラー。
1才半の時に高熱により聴力・視力・言葉を失う。
7歳のときアン・サリヴァンにであう。
サリヴァンはヘレンに
しつけ・指文字・言葉を教えた。
ヘレンは「話すこと」ができるようになった。

愛とは 雲のたとえ
雲は、さわることは出来ない。
でも、雨は感じる。
そして、雨が降ると、
草木や乾いた土がどんなに喜ぶかも、
ヘレンは知っている。

愛もさわることは出来ない。
でも、その愛がすべてのものに注がれる時、
その優しい喜びは、感じることが出来る。
愛がなければ、幸せもないし、
きっと遊びたくもなくなってしまう。

●如来、無蓋の大悲をもって
仏説無量寿経に、
阿弥陀仏が何故この世界に出られたか説かれる。。
如来、無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまう。
世に出興するゆえは、道教を光闡して、
群萌を拯い恵に真実の利をもってせんと欲してなり。

阿弥陀如来は、
私たち一人ひとりを救いたいと、
はたらいておられる。
阿弥陀さまは、
私たち一人ひとりの
すべてを見抜き分かって下さる。
一人ひとりの苦悩を背負って下さる。
むがいの大悲とは無条件に救ってくださること。

●本川達雄。
ゾウの時間 ネズミの時間
心臓が15億回うつと死ぬ。

●ナマコの研究のはなし。

●仏のこころ
自利利他と我利我利亡者
幸せになる道・自利利他。
不幸になる道・我利我利。
仏教では、
底の知れない欲の心や、
怒りの心、恨みや妬みの愚痴の心が、
苦しみを生み出していると説く。
その本性は我利我利。

我利我利とは、
自分さえよければ
他人なんてどうなってもよいという考え。
相手を踏みつけにしても、
自分だけが儲かりたい・認められたいということ。

自分さえよければという我利我利の心が、
知らず知らずのうちに相手を傷つけ、
恐ろしい悪を作らせると釈尊はいわれる。

釈尊は、
幸せになりたければ、相手を思いやりなさい。
相手の幸せを思いやってかけた言葉や行動は、
あなたに思いやりとなって 返ってくる。
という。
これを、自利利他という。

●三尺三寸箸 
極楽の箸はなぜ長いのか

昔、地獄と極楽を見にでた男がいた。
男は地獄へ行った。
昼食の時間だった。
食卓の両側に罪人たちが並んでいた。
食卓を見ると豪華な料理が山盛り。
罪人たちは皆やせこけている。
おかしいと思いよく見る。
罪人は1m以上の長い箸をもっている。
罪人は長い箸を使いたべようとする。
でも食べられない。
イライラして、怒りだす者もいる。
隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、
醜い争いが始まった。

次に男は極楽にいく。
夕食の時間。
人々が食卓に座っていた。
料理は山海の珍味。
極楽の人は、ふくよかで、肌もつややかだった。
箸をみると1m以上ある。
どのようにして食べるのか。
極楽の人々は、長い箸でご馳走をはさむと、
「どうぞ」と言って、
自分の向こう側の人に食べさせた。
相手は「ありがとう。お返しします」

同じ食事を前にしながら、
地獄では、俺が俺がと先を争い傷つけあっている。
極楽では、相手を思いやり、相手から思いやられ、
感謝しながら、互いに食事を楽しんでいる。

自分さえよければでは幸せになれない。
一人ぼっちになってしまう。
幸せの花は、相手と自分との間に咲く。

●金子みすず
こころ
おかあさまは  
おとなで大きいけれど、
おかあさまの 
おこころはちいさい。

だって、おかあさまはいいました 
小さいわたしでいっぱいだって。
わたしは子どもで ちいさいけれど、
ちいさいわたしの こころは大きい。
だって、大きいおかあさまで 
まだいっぱいにならないで、
いろんなことをおもうから。

●死にざま。
人はどんな死に方をするかわからない。
どんな死にざまであっても、
死ぬときは死ねるように死なせて頂くしかない。

どう転んでも阿弥陀如来の慈しみの手の中のこと。
死にざまではなく、死に際について。
心臓が止まって意識が完全に消滅するまでの間。
五木寛之氏の著書。
おばあちゃんが亡くなったとき。
医師が呼吸を調べ瞳孔を調べて
「ご臨終です」と家族に告げた。
家族は死に水を取ることを思い出し、
あわてて脱脂綿はどこだと右往左往する。
すると
「ご臨終です」と言われたはずのおばあちゃんが、
目をつむったままふっと
「タンスの上から3番目の左側」と言われた。

人間の脳は、
心臓が止まっても約5分間は活動し、
心臓マッサージ等によって復活が可能。

心臓が止まってからの数分間は周りの声が聞こえ、
脳細胞の活動は生きている。

その数分間、
何を思いこの人生を終わってゆくのか・・・。


●門徒のはなし。
臨終といわれた。
看護師が亡くなった人の身体についていた管をとる。
医師・看護師が部屋を出ていく。
部屋に残った夫が
亡くなった妻にねぎらいの言葉をかけた。
亡くなった妻の目から涙がでてき流れた。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏

●いのちのおわり 
慈しみの如来 
摂取して捨てざれば 
阿弥陀となずけたる

無量寿とは仏の救いの時間的無限性をあらわす。
無量光とは空間的な無辺性をあらわす。

時間的空間的な限定を超えて、
あらゆる衆生を漏らさず救う。

親鸞聖人は、
摂取して捨てざれば 
阿弥陀と名づけたてまつる
と言われます。

浄土へ往生するための因は、
ただ信心ひとつである。
煩悩具足の凡夫でも 
この信心を得たなら、
仏のさとりを開くことができる。

はかり知れない光明の浄土に至ると、
あらゆる迷いの衆生を導くことができる
と述べられた。


阿弥陀如来は 
時間的空間的な限定を超えて、
あらゆる衆生を漏らさず救う仏、

●岐阜別院にいったとき。
鑑別所所長にお願いされた。
お礼はだせないが、
鑑別所で話をしてほしいと言われた。
3回目に鑑別所に行ったとき、
ある少年に手紙を読んでほしいといわれた。

母から子供への手紙
少年はふてくされていた。
父は少年が生まれる前に亡くなる。
母は生まれてすぐに亡くなる。
その後転々とする。
ギャンブルを覚える。
盗み。
捕まった。
3回目の逮捕。

手紙
まこちゃん
母を許してください。
どうして死んだか
心臓が悪く生きられません。
死んでいきます。
母の気持ちを書き残しておきます。
苦労をかけることになり申し訳ありません。
一緒に暮らせない。
一緒に泣けない。
一緒に死にたいと思いました。
しかし、まこちゃんは生きて下さい。

ここまで読んだら少年は泣き出した。

丈夫に育ってください。
お母さんは死んでもまこちゃんの側を離れません。
あなたの近くにいます。
いつでもおかあさんと呼んでください。
からだに気をつけてください。

少年はさらに大きくワーッと泣いた。
何故手紙を残したのか。
願い、母の願いを手紙に書いたのだった。
手紙は少年が20才になってから渡すように言われた。
が、16才のときによまれた。


13:00法話
●十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
親鸞聖人浄土和讃。
●名前のなぞなぞ
とんぼ。
羽が透き通り棒が飛んでいるように見える。
飛ぶ棒からとんぼになる。
ねずみ。根に住むからねずみ。
うさぎ。薄い毛からうさぎ。
くま。穴の隈に住むから隈。
名前には意味がある。

摂取してすてざれば阿弥陀となづけたてまつる
阿弥陀という名前の意味・由来を
親鸞聖人は。
すべてのいのちを抱き取って止まない
法のはたらきを阿弥陀という。


●親鸞の鸞という字。
中国に鸞鳥という鳥がいる。
中国に伝わる伝説の鳥。
二条城の欄間にある。
鸞鳥の親は自分をきたなくして
子にエサをやるといわれる。

やや赤みをおびた体から五色の光を放つ。
羽を広げもとまぶしく光かがやく。
美しい声で鳴く。

鸞のヒナは体が真っ黒。
ヒナ鳥は親鳥を見比べて、
「お母さんと違う」
餌を食べようとしない。
「子どもと同じ姿になろう」
鸞の親鳥は餌をとってくる。
ヒナ鳥の所へ戻る前に泥沼に行く。
体に泥をかぶり体を真っ黒にした。
するとヒナ鳥は、
お母さんが来てくれたと思い、
餌をたへた。
鸞の親はいつも体を真っ黒にして、
わが子を育てた。

阿弥陀さまの姿・真実の光は見えない。
私に南無阿弥陀仏という
名号となってあらわれた。
南無阿弥陀仏と口にする。
そこには私がとなえるよりも先に、
私にとなえさせようとする
阿弥陀さまのはからいがある。

●夢さがし作文コンクール 産経新聞
小学5年生の時。
いずみの「い」を「ね」に変えた「ねずみ」とよぱれた。
人として見られていないことに違和感をもった。
自分の名前のせいだ。
名付け親の父を嫌った。

小学6年生の時。
名前の由来を調べる課題があった。
気が引けたが母に聞いた。
母はいった。
砂漠のオアシスのように、
皆の心のいこいの場・
オアシスのような人になってほしい。

名前や父を嫌ったことを後悔した。
涙がでてきた。
親の願いが込められた名前が好きになった。
自分の名前を誇れるようになった。

私は心理カウンセラーという夢を持った。
一人でも多くの人の心のオアシスになりたい。

●万有引力
あたりまえはわからない。
これがぼくらの五体満足。
生れながら
足がない・手がない。
そのひとが100人集まって話した。
ないがあたりまえの世界。

●はるな愛さん。
性同一障害を抱え成長。
高校生の時父母にうちあけた。
父は受け入れた。
母は泣いていた。
母親は理解できず、家の中で無視し続けた。
性同一障害の子を産んだ自分を責めた。
再婚した母の家に遊びに行った。
お風呂に入った。
脱衣カゴに女もののパジャマがあった。
母が女として扱ってくれた。
お風呂の中で泣いた。

あたりまえでないことが、
苦しみ・悩むことの原因になることもある。

●ある村でのこと。
海辺に近い丘の上に砲台がある。
毎日正午に号砲が鳴る。
誰もがそれで時間をしる。
少年が疑問を抱く。
砲兵にきく。
「どうやって毎日正午に号砲を鳴らすの?」
砲兵「隊長の命令で鳴らす」
少年は隊長にきく。
「時計はどうやって合わせるの?」
隊長「週に一度、町の時計屋の
ショーウインドウの大時計に合わせる」
少年は時計屋にきく。
「ショーウインドウの大時計は、
どうやって合わせるの?」
時計屋「正午の号砲で合わせる」

多くの人が常識を依りどころとしている。
その生きざまが新しい常識をつくる。
常識というものさしは、
常にその時代の常識。
そのものさしの不確かさに気がつかない。

親鸞聖人はいわれる。
よろづのこと、
みなもつてそらごとたはごと、
まことあることなき。

●カフラ教授。
仏教の話
素粒子の世界
いくつか集まってひとつの単位
いつも動いている
無常と一致する
縁起と一致する。

●漢字の一部をとりカタカナができた。

●日本語は言葉に意味がある。
「まこと」という言葉。

「ま」は目のこと。
まなざし・まゆげ・まつげ・まぶしい。

「ま」は形では「丸いもの」こと。
まるい・まと・まわる・まめ・まり。

「ま」は性質では「ウソのない」「偽りのない」こと。

「まこと」は「まのこと」。「ウソのないこと」。

●自分を賢いと思った。
30才くらい。
築地本願寺に務めていた。
電車で指定席のドアから入ったことがある。
恥ずかしかった。
座ってやろうと思ってやった。
自分さえよければよいという考え。
恥ずかしい。

●強く・賢く・美しく
プラス思考
普通の人の考え方。
阿弥陀は違う。

●ガンで余命3か月と言われた。
何をするか?
贅沢をしよう。お金を使おう
高級レストランにいった。
3回繰り返した。面白くない。
3か月たっても生きている
今は1日を大切にしたい。

●作家・西村滋さんの少年期の話。
母恋い放浪記・お菓子放浪記を書いた。
91才で死去。
滋少年は両親の愛情を受けて育っていた。
ある日、母が姿を消した。
母は結核のため庭隅の粗末な離れに移った。
近寄るなといわれた。
滋少年は近寄った。
母は滋少年を見ると叱った。
ミカン箱・枕が飛んできた。
青ざめた顔・乱れた髪・荒れ狂う姿は鬼だった。
滋少年は次第に母を憎悪する。
悲しみに満ちた憎悪だった。
滋少年6才のとき母は死去。“
涙でず。
ざまあ見ろと思った。
●翌年父が後妻をもらう。
継母とうまくいかず。
滋少年が9才のとき父が死去。
その頃から滋少年の家出が始まる。
公園・寺・公衆電話のボックスが寝場所だった。
警察に保護された。
それからの少年は施設を転々する。
●13才の時、滋少年は知多半島の少年院にいた。
少年に面会者が現れた。
家政婦のおばさんだった。
おばさんは母が鬼になったワケを話した。
幼い子が母と別れ悲しむのは
愛された記憶があるから。
憎らしい母なら死んでも悲しまない。
滋は継母に可愛がってもらいたい。
死ぬ母は憎ませておいたほうがよい。
そのほうが滋が幸せになれる。
滋少年が20歳になって話すように
おばさんはいわれていた。
しかし、おばさんはガンを患った。
生きているうちに伝えたいと話をした。

滋少年は話を聞いて呆然とした。
自分はこんなに愛されていたのか。
涙がとめどもなくこぼれ落ちた。
滋少年は母の思いを知り立ち直った。

●ガン患者語らいのつどい。
30年やっている。
さいたま病院。
60才の方。
明日せいれい所に入る。
真宗の教えをききたい。
1.5時間話をした。
48願とは何かと聞かれた

●釈尊と弟子。
釈尊「今まで人々が流した涙と、大海の水とどちらがおおいと思う」。
弟子「それは涙だと思います」
釈尊「人の流した涙は大海の潮より多く、
苦しみの中に流した血は大海の潮より多い」

人類の歴史は弱肉強食・強き者の歴史。
生命の営みは弱肉強食の連鎖。

一切の群生海、
無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、
穢悪汚染にして清浄の心なし

苦悩の衆生海にあって
凡夫の私に呼びかけ続けてくださる
阿弥陀如来の働きがある。