18/10/27 東海村中央公民館講座 幕末と維新の水戸藩C
永井博先生。
●内政に問題あると外国から侵略されることがたびたびある。
斉昭・慶喜はこれを恐れた。しかし、薩摩がことを起こした。
まず日本をねらう、中国を少しずつ侵略すると斉昭は考えた。
蘭学・西洋の学問を取り入れればキリスト教が入ってきてしまう。
●大きな船をつくることを許可してくれ。
水戸藩は狭い。鹿嶋・鉾田・蝦夷地が欲しい。
軍事的にも大事と考えていた。
幕府にたびたびお願いした。幕府は迷惑だった。
斉昭は呼び出され謹慎となった。戊戌封事。
5〜6年も水戸にいた。幕府は厄介払いした。
●将軍日光参拝。各大名がついていく。
先頭川口 後ろは江戸城だったという大名行列だったという。
斉昭も一緒だった。
●小石川→行徳→潮来→小川→えで沢→水戸 利根川を移動。
幕府から詰問状をもらう。
隠居して駒込の屋敷に住んだ。
「おとなしくしていろ」の命令がだされる。
黒幕。 結城寅寿かからんでいた。
主君押込。家臣と幕府で事前の調整があった。
主君押込の例がある。名古屋・紀州。
雪冤運動 無実の罪を救おうとする運動
効果が出てカンバックできるようになってきた。
●ペリーがきた。ペリーはいうことをきかない。
「大統領国書をうけとれ」といってきた。
一時的に勝っても廻りの島を奪い取るだろう。
大統領国書を受け取ってもよいことはない。
皆で相談しよう。と斉昭はいった。
浦賀水道は玄関。ペリーはズケズケとはいってきた。
●将軍死んでしまう。返事を後のばしにせよ。斉昭はいった。
ペリーは1年位を要求。斉昭3年くらい。
今度は大手をふり幕府の政治に関与できるようになった。
斉昭はりきる。斉昭は負けると思っていた。が、これをいったらおしまいと思っていた。
泰平の続いた日本は戦いないだろう。
外交。戦う気持ちで外交をやれ。
今の北朝鮮と通じるところがある。
本当に決戦になったらどうしようという気持ちもある。
むずかしい。外交交渉。武力が必要。
斉昭、水戸で大砲をつくる。
地球儀をつくり献上。幕府と天皇に献上した。
明治天皇即位式に使われた。
●ペリーへの対応。
翌年1月にまたくる。
ペリーはフィリピンあたりを拠点としていた。
3つの案を考えていた。
将軍の跡継ぎ。
艦隊7隻。前回は4隻。
石炭供給について。
神武天皇から2500年、日本ははじまっていらいと考えなさいと斉昭。
そのうちふれあっていると仲良くなってしまうだろう。
日本からアメリカなどに人を送って開拓しようという考え 
斉昭も行ってもと考えた。
●緊急時に溜りの間は、将軍の顧問の集まる場。
井伊家・会津松平家・高松松平家。
●斉昭、貿易しない、石炭供給はやる、溜りの間 貿易やむなし。
●貿易、打って出て貿易するようにするのであれば、
貿易は止めやすいのでよい、と斉昭。
●斉昭。ストライキ・参与辞任。
●水戸藩内の梵鐘没収。
●アヘン戦争、第二次アロー号事件。
●水府老公 斉昭。
●東湖は斉昭と外との調整役をしていたが、地震でなくなった。
斉昭と世間とのずれが大きくなってきた。
●ハリス イギリス人、登城許可。
●外交交渉がわかっていない朝廷。
●井伊直弼、慶福を将軍にする。
●井上清直。
井伊は失敗した、何故調印した。
慶福・慶喜、慶篤派 斉昭派。