18/10/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
  < >はhp制作者メモ。
木名瀬勝師 水戸市。
歎異抄後序より真実・権化について。  < >はhp制作者のメモ。
■学生のとき。
私が大学生の時。
何のために生きているのかわからなかった。
悩んだ。
小さな部屋にこもり、哲学書・聖書をまず読んだ。
学校で、女性のお坊さんをみた。
頭を剃って、草履をはいて颯爽と構内を歩いていた。
後をついていった入った教室。
仏教学を学んでいる人だった。
仏教学を学んでいる人は座禅をしていた。
衝撃を受けた。
私は作務衣を着た。
床屋さんにいき頭を剃ってもらった。
頭を剃る人は少なく頭は血が出た。
自分の学部の授業にいかずに、仏教学をきいた。
一人で部屋にこもって座禅をくんだ。
プチ出家したのだ。
休みに家に帰った。
母はびっくりしていた。
10年後に、真宗の教えにであった。
真宗は、聖道門でない。
修行しなくてよいのか迷った。
10年後。東本願寺大谷派の職員。
15年。掃除で雑巾がけをしていた。
台湾から来た女性の方に「修行大変ですね」といわれた。
「何年修行しているのか」きかれた。
私は答えられなかった。
うしろめたさを感じた。
あるとき見学の小学生に、
「なぜ阿弥陀さまはたっているのか」ときかれた。
答えられなかった。

■ふたつのうしろめたさがあった。
本願のかたじけなさよ おぼしめしたちける おもってくださって 
たちあがってくださった 本願のかたじけなさ

■八相成道はっそうじょうどう。
釈尊の生涯を8つの時期に分けたみかた。

●1番目は処天相。
釈尊は生まれる前に兜率天とそつてんにいた。

<釈尊は天におられた。
「兜率天に処し、正法を弘宣し」。
釈尊は兜卒天という天の世界にあって正法、仏法を説いていた>

●2番目が入胎相。
天の世界にいた釈尊が心を自分の母親の胎内に置いた。
母の腹の中に入った。

●3番目は出胎相。
母の右脇より生まれ7歩歩いた。
天上天下唯我独尊といった。
我まさに世において無上尊となる。

<釈尊は釈迦族の王子として生まれた。
釈迦族の国は小さく周囲の国の脅威にさらされていた。
四方七歩の宣言。
釈尊は誕生するとすぐに、四方に7歩あゆみ右手をあげた。
「天上天下唯我独尊・三界皆苦我当安之」と宣言した。
てんじょうてんがゆいがどくそん・さんかいかいくがとうあんし
生死を輪廻する迷妄の境界の者は、皆苦悩に沈んでいる。
それらの人々を悟りの世界に導きわたす為に我は生まれてきた。
四方とは東西南北を意味する。
十方・あますところなく全部に向かっての意味。
七歩あゆんだことは、
釈尊が生まれながらにして六道を超えた聖者を意味する。
六道は仏教の世界観のひとつ。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六界をいう。
釈尊は生まれながらにして、六界を超えた存在>

●4番目は処宮相。
成長期にあたる。

<誕生後7日で母マーヤー婦人と死別。
父王の愛をうけて国王になるために、文武の諸芸を学ぶ。
結婚し子どもを授かり豪華な宮殿にくらし不自由ない生活をおくる。
しかし、感受性が強く、人生の苦相に対する煩悶は深まる。
真実とは何か、本当の幸福とは何か。
釈尊は悩み続ける。
29才。妻子や家族と別れ、社会的地位・名誉・財産を捨て出家する>

●5番目は出家相。
出家は、自分自身から出るとこと。
出家の動機に、四門出遊という出来事がある。

<出家の理由2つの話。
●樹下じゅげの静観。
釈迦の小さかった時のはなし。
今、鍬で返された土の上に、一匹の虫が動いていた。
飛んできた鳥がその虫をついばんで飛び去った。
これを見た釈尊は弱肉強食の痛ましさに心を動かされた。
「生き物は互いに食べあっている」といった。
そして、樹の木陰にいき長時間静かにすわって思いに沈んだ。
●四門出遊しもんしゅつゆう。
釈迦の出家が近い時のはなし。
ある日釈尊は従者をともない郊外に遊ぼうとする。
東門に行く。白髪の老人が、杖にすがり歩いていた。
自分は今は若いが、やがては老いていく。
不快になり引き返す。
南門に行く。
病で倒れている人にあう。
自分は今は元気だが、やがて病気にかかるかもしれない。
不安になり引き返す。
西門に行く。葬式に出会う。
自分もいつかは死ぬ。
心を乱して引き返す。
北門に行く。出家者に出会う。
柔和なほほえみ・威厳ある態度に心をうたれる。
自分の進むべき道は出家と決意し引き返す。
人は老・病・死から逃れることはできない。
これは苦です。
世俗的な幸福は無常・世のすべてのものは転変する。
人生は虚仮。
釈尊は、真実を生きる道・本当の幸福の道は、
出家しかないと決断した>

●6番目は降魔相。

<永遠の真理を求めて各地を遍歴。
その後、マガダ国、王舎城附近で修行。
更に、ナイランジャーナー河ほとりの苦行林で苦行。
肉体を苛む行。数年間。
骨と皮だけに痩せ衰える。
全ての苦行を放棄する。
伝統的な苦行を否定した。
独自の道を見つけることが必要になった。苦行林をでる。
ナイランジャーナー河で沐浴。村娘スジャータのくれた「ちちがゆ」を飲む。
からだの回復をはかる。
村娘スジャータの供養を受け入れたことは、
釈尊が社会階級制度否定したことだった。
釈尊は元気になる。
ガヤー村のピッパラ樹の下で静坐する。
「われもし無上の大菩提をえずんば、終にこの場を起たず」
心を込めて瞑想思惟し禅定にはいる。
釈尊35才、12月8日大菩提を得る。
ピッパラ樹は、菩提樹とよばれるようになった。
●釈尊が瞑想している間 悪魔はささやく。
悟りへの道を妨害する。
釈尊の決意は固く、悪魔を降伏させる。
悪魔とは人の心の中にある煩悩のはたらき。
釈尊は煩悩の闇、
無明を破り真実の智慧、道にめ、菩提を成就した。
釈尊は真理にめざめた。
成道とは、悟りに達した・菩提を成就した・
正覚を完成したとか表現される。
釈尊の菩提樹の下での宗教体験により
独自の人生態度が現れた。
これは中道とよばれる。
城での享楽主義と苦行(禁欲)主義を否定。
中正公平な調和の道を見出した。
一辺に片寄ることを否定し、真理の実践を意味している。
真理を自覚し仏陀になった釈尊は鹿野苑ろくやおんに行く。
釈尊とともに修行してきた5人のために、中道を説く。
四つの型(四諦)に組織だてて説いた。
この説法を、仏陀になって初めての説法なので初転法輪とよぶ>

●7番目は転法輪相。
釈尊は35才で正覚をひらいた。
80才で亡くなる45年間が、
釈尊が教化をしていく、法輪を転じていく期間。
釈尊はさとりをひらいたのに悩む。
一週間ごとに場所をかえてみる。
私の教えは誰も理解できない。
言葉にできないだろう。伝えられない。
釈尊は孤独だった。
釈尊はひとりで死んで行こうとした。
そのとき、梵天が釈尊に教えを伝えてくれと頼んだ。
3度お願いする。
梵天勧請という。
釈尊はそこで立ち上がった。
立ちあがって自分を軽蔑した人、修行していた人のところにいった。
釈尊は光り輝いた。
5人の比丘が釈尊のはなしに「なるほど」といった。
正覚の仏だ。 
立った釈尊。
説法の仏陀。
仏法僧がそろった。
説法の仏陀。
わざわざやってきてくれて説法してくれる。
私たちは座ったまま。
権化 正覚。真実。立った仏陀。

<悟りをひらいた釈尊は自受法楽にひたった。
悟りの境地を楽しんでいた。
その教えをなかなか説こうとしなかった。
仏教を守護するインドの古い神梵天。
ある日、梵天が釈迦にお願いした。
梵天勧請といわれる。
「仏陀の説法をぜひ聞かせてください。
聞かせてもらえなければ、人類にとって大きな損失です」
釈尊は説法を決意される。
「いまや不死の門をひらこう」
釈尊は立ち上がり伝道の旅に出る。
多くの人に、
この上なく深く尊い教えを説いて下さった>

●8番目は入涅槃相。
涅槃に入られる。涅槃という真実の世界にお釈迦様は帰っていかれる。

<釈尊が成道されてからの45年間は伝道の生活だった。
釈尊の説法は「対機説法」「応病与薬」といわれる。
対機説法。教えをきく人の能力・素質にあわせて法を説く。
応病与薬。病に応じて薬を与える。
80才で生身の仏陀としての生涯に終わりをつげた。
釈尊の入滅は大般涅槃だいはつねはんといわれる>

■親鸞聖人は延暦寺で正覚を求めた。でもかなえなかった。
わからなくなった。
山を下り六角堂にこもり、観音菩薩の慈悲にあう。
勢至菩薩である法然聖人の教えを請え。
勢至菩薩は智恵。観音菩薩は慈悲。

●仏陀は立ちあがった。説法してくれるのが大事。
説法してくださっている仏陀。教えてくれることが原点。
聴聞が大事。仏教の原点。阿弥陀。釈尊がさとったこと。
念仏しろと言っている。説法の仏陀。南無阿弥陀仏。正覚。説法。
聞法が仏教といえなかった。死にたくない。人生後悔。
生死をでる。出離生死。死という字。
象形文字では、骨を拝んでいる人を意味している。

●長生不死の神方ちょうせいふしのしんぼう。

<曇鸞大師は「大信心はすなはちこれ長生不死の神方」と表現している。
親鸞聖人、教行信証。信の巻。
つつしんで往相の回向を案ずるに、大信
あり。
大信心はすなはちこれ長生不死の神方、
欣浄厭穢の妙術、・・・真如一実の信海なり。
この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり>

■食事をしている時テレビで大量虐殺のニュースが流れている。
テレビを見ても食事は続く。
箸がとまらない。
これは人間としてはおかしいことのように思う。
箸はとまるべきなような。
でもとまらない。皆変になっている。
虚仮が今の世の中。

■金子みすずさんの詩。
大漁。浜では大量でにぎわっている。
お祭り騒ぎだ。
しかし、みすずさんは魚のことを考えた。
海の底では人にとられてしまった魚の弔いをしている。
と、詩に詠んでいる。

<仏様の目線で物事を考えている。
みすずさんは、長い間おばあさんと一緒に、
仏壇のまえで朝夕お勤めをしていたという。
南無阿弥陀仏がみすずさんの詩の原点だ。
死の上に生がある。弔いの世界の上に生きている。
殺の世界に生きている。
生きている物を殺して食べないと私たちは生きてはいけない。
多くの命の犠牲の上に私たちは生きている。
常に流転。
私たちは生き残ってきた。
殺した方だ。死が見えなくなってきている現代人がいる>

■後生の一大事。最後は生身。うらみを相続するな。
うらみは次の世代につながってしまう。
うらみは断ち切るべきだ。