18/8/25 那珂市本米崎 上宮寺定例法座 真宗本願寺派。
佐々木大観先生 兵庫県宍粟市西願寺。
以下のようなはなしだった。
ありがとうございました。
●覚えておくとよいことば。
引く足も 称える口も 拝む手も 
弥陀願力の 不思議なりけり

お聴聞に参る足も、
南無阿弥陀仏と称える口も、
阿弥陀如来を合掌する手も、
本願力が現に身の上に、
はたらいて下さるすがたである。
だから、不思議なのである。

●生誕「誕」の字は、うそ・でたらめの意味がある。
生まれ生きるために、食べ物をたべる。
いのちをいただいて食べていかないと
生きていけない。
いのちを奪うことは悪いことだ。
悪いことをしないと生きていけない。
悪いことをすると地獄に行く。
地獄に行かず、
極楽浄土にいかせて下さるのが
真宗の教えである。
阿弥陀如来を信じ、
南無阿弥陀仏と声を出して念ずることだ。
阿弥陀如来が、阿弥陀如来のつくられた極楽浄土に導いて下さる。
阿弥陀如来にすべてをあずける。
阿弥陀如来からの救いの声に念仏する、
現世と別れた後に、
永遠の生命を得る。
●地獄について。
孫に地獄はあるのかときかれたら
地獄はある。
お前がつくる。
悪いことをすると地獄にいくと答える。
じいさん・ばあさんは悪いことはしている。
しかし地獄にはいかない。
極楽浄土にいく。
極楽浄土に地獄はなく鬼もいない。
法蔵菩薩は四十八願をたて、
阿弥陀如来になられた。
一願に、
「たとひわれ仏を得たらんに、
国に地獄・餓鬼・畜生あらば、
正覚を取らじ」とある。
だから、極楽浄土には、地獄もなく鬼もいない。
いきていくための拠り所をこども・孫に教えてやる。
阿弥陀如来の願力を
子供・孫に伝えなければならない。
●法蔵菩薩のたてた四十八願のなかで最も重要な十八願。
「たとひわれ仏を得たらんに、
十方の衆生、
至心信楽してわか国に生ぜんと欲ひて、
乃至十念せん。
もし生ぜずは、
正覚を取らじ。
ただ五逆と誹謗正法とをば除く」
南無阿弥陀仏を称えれば、
救ってくださる。
現世で身体は死んでも生きている。
阿弥陀如来は、
極楽浄土に連れて行って下さる。
●南無阿弥陀仏と称えるときは、
阿弥陀如来がきている。
阿弥陀如来はいつも守ってくれる。
感謝しなくてはいけない。
称名念仏を声に出して称えなければいけない。
南無阿弥陀仏と称えた後に、
阿弥陀仏がきていると言うようにする。
●浄土真宗の救いのよろこび。
阿弥陀如来の本願は
かならず救うまかせよと
南無阿弥陀仏のみ名となり
たえず私によびかけます
[南無阿弥陀仏を称えた時、
阿弥陀如来は私のところに来て下さっている。
ありがたいことです。
浄土真宗の教章には、
本尊は、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)とある。
南無阿弥陀仏ということばが本尊である。
南無阿弥陀仏]

このよび声を聞きひらき
如来の救いにまかすとき
永遠に消えない灯火が
私の心にともります
[わたしの心に確かなよりどころができています。
ありがたいことです。
南無阿弥陀仏]

如来の大悲に生かされて
御恩報謝のよろこびに
南無阿弥陀仏を称えつつ
真実のみちを歩みます。

この世の縁の尽きるとき
如来の浄土に生れては
さとりの智慧をいただいて
あらゆるいのちを救います
[阿弥陀如来のちからによって
極楽浄土にいかせてもらいます。
さとりの智慧をいただいて如来となり、
還相して、
あらゆるいのちを救います]

宗祖親鸞聖人が
如来の真実を示された
浄土真宗のみ教えを
共によろこび広めます
[阿弥陀如来の願力を
子供・孫に伝えなければならない]
●佐々木大観先生の先生が開口一番にいった。
仏説無量寿経は、完全なものである。
[よく読まなくてはいけない]

●自信をもって念仏をとなえる日々をおくる。
こころのよりどころである阿弥陀如来さま。
自信をもって念仏を称えなければいけない。