18/8/19 東海村 細浦青畝ほそうらせいほジオツアー  
〜立秋の細浦を楽しもう〜。
虚空蔵尊入口駐車場→村松虚空蔵尊→
大神宮→千々乱風伝説→村松晴嵐→
阿漕ケ浦→さつまいも畑→真崎古墳群→
天神山→細浦豊穣の碑→虚空蔵尊入口駐車場

■細浦青畝の成り立ち。
○水田は江戸時代までは湖だった。
○700万年前。
東海村は海。砂・泥・火山灰が堆積。
地殻変動で海になったり陸になったりした。
○12万年前。
地球は温暖。海面は現在より5〜10m高くなる。
東海村は海。
○1万年前。
地球は寒冷化。海面は現在より100m低くなる。
久慈川が発達。流れが大地を削り深い谷ができる。
○6000年前。
地球が温暖化。海面は現在より2〜3m高くなる。
谷に海が入り入り江となる。
入り江に泥や砂がたまる。
台地の端に人が生活。
縄文時代の集落跡・貝塚が見つかっている。
○現代。
再び海面が低下。
海岸は風により砂丘ができる。
砂丘により、入り江は海と隔てられる。
細浦は湖となる。
その後、干拓され水田となる。
■村松虚空蔵尊。
807年創建。
本尊は虚空蔵菩薩像。
本尊は、海で漁師が霊木を見つけ、
弘法大師が一刀三礼の礼をつくし刻した。
日本三大虚空蔵尊のひとつ。
虚空蔵菩薩は、丑寅の守り本尊。
狛犬は丑と寅。
丑と寅は、町屋石でつくられている。
屋根にも丑寅がいる。

■村松大神宮。
708年創建。
当時は五所明神と称した。
現在は、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の分霊をまつる宮とされる。
光圀は社殿を造営。
皇大神宮(伊勢神宮内宮)より分霊を奉遷した。
正月の大祭には水戸藩藩主の参列を例とした。
毎年4月9日、神幸競馬祭ヤンサマチが昭和4年まで行われていた。
6頭の馬が東海村から阿字ヶ浦の磯崎酒列神社の浜まで、
砂浜を約10km競った。
結果により、その年の作物のできをうらなった。
■東海村〜阿字ヶ浦までの砂丘。
砂丘は、東西1.2km・南北10km。
約3000年前より5期にわたり形成された。
第1期。国道245号付近。3000年前。
第2期。縄文中期以降。
第3期。平安時代またはそれ以前。
第4期。江戸時代またはそれ以前。
第5期。1923年の砂丘工事による人工砂丘。

■千々乱風伝説ちちらんぷうでんせつ。
[ひたちなか市]
江戸時代初期。
砂丘一体に、青塚村・大塚村・二亦村があった。
1617年.8/19から75日間の北東の暴風が吹いた。
青塚村・大塚村・二亦村は、砂で埋められ住めなくなった。
人々は、阿字ヶ浦前浜・馬渡・長砂へ移り住んだ。
[東海村]
1615年頃。浜で製塩をしていた。
強風により、砂で建物が埋まることがあった。
住人は、村松神領へ移る願いを藩に申し出、許可を得た。
照沼・宿・真崎へ移った。
■村松晴嵐の碑。
水戸八景のひとつ。
石碑の文字は徳川斉昭による。
石碑は、八溝山系堆積岩の硬質砂岩。
石碑建立当時は、海が見えていた。
現在は、クロマツの植林により海は見えない。

■阿漕ケ浦。
○成り立ち。
2万年前。氷河期。海水面が低下。
久慈川の河口は、現在より18km沖合だった。
新川は、現在より少し北側を流れ、沖合3〜4kmで久慈川に合流。
新川には支流がいくつかあった。
支流のひとつが阿漕ケ浦をつくった。
○6000年前。
地球が温暖化。海面は現在より2〜3m高くなる。
谷に海が入り入り江となる。
入り江に泥や砂が堆積。
○3000年前。
少し海が後退。
広がった海の砂が北東の風により砂丘を形成。
阿漕ケ浦は、新川の支流が、
砂丘により水の流れがせき止められてつくられた。
○阿漕ケ浦の水源。
東海村の地下には砂や礫でつくられた層がある。
雨が降ると、水は砂や礫でつくられた層をとおり阿漕ケ浦に流れる。
圧力により一部の水は砂や礫でつくられた層を通り海に流れる。
阿漕ケ浦はほぼ一定水位をたもち、水質もよい。
砂や礫でつくられた層と層の適度な傾斜が阿漕ケ浦をつくっている。
○伊勢にある阿漕ケ浦を真似た。
三重県津市東部の海岸に阿漕ケ浦がある。
昔は伊勢神宮に奉納する魚を取るために網を引いた場所。
一般人の漁は許されていなかった。
光圀は、伊勢から阿漕ケ浦に魚を運んだ。
長い道のりで、魚の片目はつぶれた。
東海村の阿漕ケ浦の魚は片目がないとの話があった。
東海村の阿漕ケ浦は、今は魚をとってはいけない。

■さつまいも畑と黒土。
○クロボクド(黒土)。
東海村の黒土は、寒冷な時代に堆積したローム層に混在。
東海村の黒土は、ローム層の上に30〜60cm堆積している。
黒土は、堆積したロームに腐葉土がまざり、栄養があり保水性がある。
○東海村で干しイモが盛んなわけ。
[黒土の存在]
黒土は、サツマイモ栽培に適している。
[砂丘の存在]
砂地の水はけと保水のバランスがよく、
サツマイモ栽培に適している。
[秋から冬に吹く北東風]
適度な海風が干しイモつくりに必要。
■関東ローム層。
ローム層は、火山灰が風に運ばれ積もった地層。
関東に分布するローム層を関東ローム層という。
東海村も関東ローム層になる。
■真崎古墳群。
4世紀〜7世紀につくられた11基の古墳。
六角形墳・方墳・円墳・前方後方墳・前方後円墳がある。

涼しい風が吹いていた。

■天神山
茨城県でいちばん低い山。標高17.4m。

天神山の地層。
村松地層。凝灰岩質砂岩?  
真崎城をつくるときに切通しをつくった。

■細浦豊穣の碑。
2000年から進められてきた「県営細浦地区ほ場整備事業」。
2007年に完工。
細浦は、軟弱地盤・耕区割り・作業道路は狭小・
用排水路は不整形の問題があった。
碑には、
地権者の長年の悲願であった排水・ほ場整備が一体的に行われ、
耕作しやすい「美田」が誕生したとある。

○細浦豊穣の碑  以下碑文の概要。
本地区は東海村の南東部、村松宿、真崎の中間部に位置する。
北は権現山高地一体の山林、南は館前高地の間にある。
東西約1500m、南北約300mの帯状をした、ほぼ平坦な湿田地帯。
1960年に、ほ場整備事業を行った。
耕区割りが、東西に帯状の狭小な区画。
農産物の搬入搬出は、小型機械や人力に依存した。
大型機械導入による農業経営近代化は不可能だった。
1993年4月に、細浦地区住環境整備場計画を決定。
課題や問題点が多く、問題解決のために、
細浦地区・大山下地区の下部に、
排水を高める湛水防除機場の設置・ほ場整備事業へと変更。
1999年2月、茨城県へ申請書を提出。
1999年9月、茨城県の事業決定がされる。
湛水防除機場は、
排水ポンプ3台を設置、1秒間に9トンの排水を可能とした。
ほ場整備事業は、
総面積40.5ha、
受益者総数127名の県営細浦地区ほ場整備事業とした。
2000年着工。
2007年3月完成。
用水の確保。
還元水を用い承排水路を通して
調整池(5200m2及び1600m2)に集水。
パイプライン方式により全耕筆に導水。
排水。
小排水路に排水フリュームを設置。
耕作地に暗渠排水管を布施して転作を可能にした。
耕作道路は、幅員を拡大し、一部は舗装により整備。
耕区割りは、
大型機械による農作業が可能な大規模ほ場(1ha)整備を行った。
撰文 運営委員長 高橋昭
題字 茨城県知事 橋本昌