18/8/4 石岡市大増 板敷山大覚寺 夏の御虫干し会 真宗本願寺派。
親鸞聖人 茨城ご滞在20年の歴史 

サルスベリ。

10:00より全員で 讃仏偈を称える。

阿弥陀如来。

■副住職さまの説明があった。
1214年、親鸞聖人は、家族で稲田に住んだ。
弟子には、性信房・順信房・唯円などがいた。
念仏がさかえると、山伏弁円の信者は離れていった。 
親鸞聖人は、稲田から鹿島へ柿岡を通り、
霞ヶ浦を利用し船で鹿島にいっていた。

弁円と35人弟子は、
親鸞聖人に危害を加えるため、
板敷山で待ち伏せした。
しかし、親鸞聖人とあわなかった。
護摩壇をきづき、
祈願により親鸞聖人に危害を加えようとした。
しかし、護摩で親鸞聖人に危害を加えられなかった。
弁円は、親鸞聖人に危害を加えようと稲田に乗り込んだ。
しかし、親鸞聖人の姿を見た時に
危害の心は無くなってしまった。
その場で弟子となり明法房と名乗った。
大覚寺の山門を入ると右側に説法石がある。
親鸞聖人は、説法石に座り、
弁円の弟子35人に念仏を説いた。
弁円のうた。
山も山 道も昔に 変わらねど 
変わり果てたる 我が心かな
 
人間のこころはすぐに変わる。
親鸞聖人は、稲田に20年住んだ。
その後、京都に帰る。
親鸞聖人は、
京都で明法房が亡くなったことを聞いた、
長年、念仏し往生を願う姿は、
かつての自らの悪い心を改め、
同じ念仏の仲間とも互いに
親しむ思いを持つようになること。
明法房が往生の本意を遂げたことは、
喜ばしい。
明法房が浄土に往生するのも、
かつては誤った考えを持っていたが、
その心を改めたからに他ならない。と、いった。





■板敷山大覚寺縁起。
親鸞聖人法難の遺跡の地。
周観大覚が、板敷山の南麓に草庵を結ぶ。
親鸞聖人が笠間の稲田にいた。
周観大覚は、親鸞聖人を訪ね、
弟子となり、善性房鸞英と名のる。
その後、
親鸞聖人にしたがい親鸞聖人の教化を助けた。
当時、常陸の楢原の地に修験道の山伏の道場があった。
頭領の弁円は、災害を除き、厄をはらう法を修していた。
現世の福利により人の心をおさめとり、
崇敬の念を受けていた。
親鸞聖人の念仏がひろがると、
仏智回向の大悲を喜ぶ者が多くなった。
修験道をたのむ人は少なくなった。
弁円は怒り、親鸞聖人を怨んだ。
弟子35人と謀り、親鸞聖人に危害を加えようとした。
板敷山南麓の無住の庵に屯し、
何日も親鸞聖人の行化の行き帰りをうかがった。
が、出会うことが出来なかった。
そこで板敷山の山上に護摩壇を築き、3日3晩念じた。
しかし、親鸞聖人に危害を加えることは出来なかった。
弁円は、刀・杖をもち、
ひとりで親鸞聖人のいる稲田の草庵に入った。
親鸞聖人は、草庵から出てきた。
弁円は、親鸞聖人を見た途端に、
危害を加えようとする気持ちが消えてしまった。
そして後悔の涙を止めることが出来なかった。
親鸞聖人に乞い、弟子となり、
明法房弁円と名を改めた。
親鸞聖人は、喜び、
山伏が集まっている
周観大覚善性房草創の板敷の草庵に
阿弥陀如来の影像を安置した。
大覚阿弥陀堂とよんだ。
親鸞聖人は、 説法石に座り、
弁円の弟子35人に100日間念仏を説いた。
1251年、明法房は、浄土往生を遂げた。

■虫干し会展示解説より。
1.親鸞聖人御満足の御像。
弁円が念仏者となった喜びが顔にあらわれている。



2.山伏弁円懺悔の木像。
山伏の姿をしている。
頭は有髪。



3.不動明王像。
板敷山の護摩壇の奥に安置されていたもの。



4.方便方身尊像。
阿弥陀如来の立像。



5.方便方身尊像。
阿弥陀如来の立像。

6.二河白道図。
白道は曲がっている。

上部 浄土の阿弥陀如来が描かれている。
娑婆世界に釈迦如来は描かれていない。

7.見真大師・鹿島明神赤童子連座画像。
上部 赤童子・下部 親鸞聖人。
赤童子は、鹿島明神・春日明神と関係がある。

8.親鸞聖人真向絵像。
親鸞聖人が正面を向いている。

9.大谷本願寺親鸞聖人之縁起。
親鸞聖人絵伝。4幅。
親鸞聖人の出家から廟堂の設立までが描かれている。
絵伝の見方は、下から上・右から左にみる。

1幅 下

1幅 上

2幅 下

2幅 上

3幅 下

3幅 上
上段 弁円が親鸞に危害を加えようとするが、
親鸞聖人の弟子になったことが描かれている。

4幅 下

4幅 上

10.板敷山絵伝。2幅。



11. 板敷山絵伝。2幅。模写したもの。

1幅 下

1幅 上

2幅 下 親鸞聖人は、山伏35人に100日間の説法をした。
親鸞聖人が座った石・説法石が大覚寺山門近くにある。

2幅 上

12. 板敷山書感。
秋月橘門作。
あきづき きつもん 儒学者・地方官。

13. 板敷山書感。
島地黙雷作。しまじ もくらい 真宗本願寺派の僧侶。

14遠慶宿緑 富士川游作。
ふじかわゆう 医学者、医学史家。

15.常光浩然  
富士川游・遠山諦観 とおやまたいかん

16.中国寒山寺石碑拓本。
楓橘夜泊 張継作。
月落ち烏啼きて霜天に満つ  
江楓漁火愁眠に対す 
姑蘇城外の寒山寺  
夜半の鐘声客船に到る


17.六字名号。
南無阿弥陀仏。

18.方便法身尊像。
阿弥陀如来の立像。



19.大蛇御済度名号。
大覚寺に伝わる大蛇済度伝説。
大覚寺の下には広い池があった。
池もふくめ周辺は、道行くひとを食べる大蛇がいた。
大蛇は池にいた。
村の人は困った。
稲田の親鸞聖人に何とかしてほしいとお願いした。
親鸞聖人はたくさんの小石一つ一つに
経典の文字を書いて池に投げ入れた。
その夜、稲田の草庵に女性が現れた。
女性は道行く人を襲っていた大蛇だった。
大蛇は親鸞聖人のおかげで
天界に生れることができたとお礼に来たのだった。
親鸞聖人は、大蛇に「涼光」という法名を紙に書いて渡した。
翌日池には、大蛇の死体が現れた。
口には、親鸞聖人の書いた法名「涼光」の紙をくわえていた。
大蛇御済度名号に書かれているもの。
右側。女性も名号により往生できるという善導の「観念法門」のこと。
正面。六字名号と親鸞聖人の名前。
左側。大蛇に「涼光」という法名をさずけたこと。

大覚寺前 大覚寺の下は広い池だった。

稲田の草庵に女性が現れた。
女性は道行く人を襲っていた大蛇だった。

人喰橋の石碑。
大覚寺から300mくらい離れたところにある。
大覚寺までは少し上りの道になる。

蛇塚(念仏塚)。
南無阿弥陀仏と彫られている。