18/5/25 那珂市本米崎 上宮寺法話 真宗本願寺派。
講師 了善寺 百々海真師 (東京都港区)。
バイカウツギ??
親鸞聖人像の前にきれいに咲いていた。
法話開始ちょっと前に、救急車を呼ぶハプニングがあった。
以下のようなはなしだった。
〇全員で、歎異抄後序をよむ。
〇身業(しんごう)説法。
自分の命、大切な人の命。
いつまで続くか誰にも分からない。
人はいつ、何処でどうなるか分からない。
生かされている。
生きている事は奇跡だ。
救急車で運ばれた同朋は、身をもって教えて下さった。
身業説法た。
〇僧伽(さんが)
念仏共同体
〇歎異抄を書いた唯円。
弟子としての使命と責任。
泣く泣く筆をそめてこれを記した。
〇暁烏敏先生。
本当の仕事 このことだけはやりたい。
〇竹本 住大夫。
伝統芸能・人形浄瑠璃文楽人間国宝。
住大夫は、武士・町人・老婆・娘のせりふを語る。
鬼の散りぎわと題した最後の舞台をBSでみた。
求道。二生ほしかった。と、言った言葉が印象的。
〇一言で おもむき
しどけなき だらしなく
〇親鸞聖人が何を読んでそのように感じたか。
聖典を読むことが必要。
親鸞聖人御消息 唯信鈔 聖典774。
親鸞聖人が関東から京都に帰られて遷化されるまでに、
関東各地の門弟に与えた手紙。
〇西村見暁先生は、親鸞になれといっている。
〇阿弥陀堂 本願・ 御影堂 本願成就。
〇聖典1196 御文章 5帖 9通。
されば他力の信心をうるといふも、
これしかしながら南無阿弥陀仏の六字のこころなり。
このゆゑに一切の聖教といふも、
ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなり
といふこころなりとおもふべきものなり。
とある。
〇歎異抄の大切な証文とは。定説はない。
師君篇。
流罪記録。
弥陀の本願 親鸞一人(いちにん)云々。
どれかわからない。
が、弥陀の本願 親鸞一人(いちにん)云々だと思っている。
〇信心の目安
〇曽我量深先生のはなし。
昔の本願が今はじまる。といっている。
信の一念である。念仏申さんと思うと・・・
仏の願がきこえた。
一人。
〇親鸞がきこえたことば
罪業深重
どうなっても満足にならない
本当の願い
わたしは何を求めているか。
〇つねのおおせには、・・・。
20年後
また案ずる。
反復
わたし抜きで一人はない。
〇暁烏敏先生。
残された最後の一人の我が救われる。
とは、一切衆生が救われることである。
成仏、つねに流転・・・。
〇典寿先生の揮毫のはなし。
先生が書を頼まれた。
迷惑 名利 大山 不喜不快 現是我身
平成二十五年八月 痴愚八五歳 典寿
と書かれた。
迷惑は、教行信証「信巻」・聖典266頁のことば。
まことに知んぬ、悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、
名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、
真証の証に近づくことを快しまざることを、
恥ずべし、傷むべしと。
■以下は帰宅後考えたこと。
親鸞聖人は自分を「名利の太山」と告白している。
心のありさまを名利の太山に迷惑してといっている。
中国の天子が揚子江近くに城をもっていた。
揚子江を下る船は1日に何艘か部下にきいた。
部下は
「名誉を求める船か、利益を求める船の2艘」と答えた。
天子は、納得した。
ひとの行動の動機は名誉欲・利益欲。
これを名利と言う。
それは大きな山ほどある。
名利に目がくらむと、ひとは何でもやる。
時として権力者は「潰せ」などという。
誰もが持つ人間の本性だ。
名利に「迷惑」している姿。
どうしたら、いいのか?
仏教の教えは、そこにある。