14/8/9 筑西市 講演・展示
「語り伝えよう!太平洋戦争の体験記録」 
筑西市丙・しもだて地域交流センターアルテリオ。
筑西市郷土史を考える会
及び明野郷土史に親しむ会が主催する
「語り伝えよう !太平洋戦争の体験記録」
の講演会と展示会があった。
下館飛行場  キ84甲
●陸軍特別攻撃隊第57振式隊 
高埜伍長搭乗機 
昭和20年5月 
愛称 疾風



特攻隊員の寄せ書きや遺族の手紙など。



小学生と父兄による合唱 
10曲ほどきいた。
よかった。

■主催者あいさつ   
戦後69年が経過し、
戦争を知らない世代が増え、
今では国民の4分の3が戦争を知らない世代となった。
尊い命の犠牲の上に、
今の平和があるのを忘れてはならない。
ここ下館にも戦争があったことを忘れてはいけない。
■筑西市市長あいさつ   
世界各地で武力抗争などによる犠牲がおきている。
私たち、
若い人たち、
これから生まれてくる子どもにも、
戦争のことを伝え残していかなければならない。
■講演1  
長野県松代に大本営、
皇居を移転する計画があり地下壕をつくった。 
郷土史家のはなし。
設営途中で、終戦となった。
今も松代に地下壕が残っている。
松代大本営跡調査の報告があった。
以下はhpより。
松代大本営跡(まつしろだいほんえいあと)は、
太平洋戦争末期、
日本(当時の大日本帝国)の国家中枢機能移転のために
長野県埴科郡松代町(現在の長野市松代地区)などの
山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に掘られた地下坑道跡。

■講演2  
特攻隊員の遺書と家族   
太平洋戦争末期、
陸軍下館飛行場から
陸軍特別攻撃隊第57振式隊12名が飛び立った。
部隊が下館を去る前日、
旅館ではすき焼きをご馳走するため、
農家から牛1頭を買い上げた。
12名の特攻隊員の寄せ書きが旅館に残った。
その後、旅館では、
お盆に、寄せ書きを仏前に供え、供養してきた。
最近、数名の遺族の方と連絡がとれた。
手紙のやりとりもある。
(現在、旅館はやっていない)
■講演3  
風船爆弾のはなし・・・の予定だったが
広島原爆のはなしとなった。
講演された方の実兄が広島で原爆にあった話だった。
講演後主催者より風船爆弾のはなしがあった。
太平洋戦争の末期、
アメリカ本土を攻撃するため風船爆弾が作られ、
アメリカ本土に飛ばした。
発射基地として、
茨城県では大津町付近が選ばれた。
■講演4 
墜落日本軍機  
石下上空 B29 90機へむかっていった
日本軍機のはなしかあった。
下館に記念碑がある。
鹿島灘上空よりきた敵機。
迎え撃つため
筑波海軍航空隊友部基地より迎撃。
グラマン戦闘機数機を相手に空中戦。
無念に下館で戦死。
■講演5 
シベリア抑留について  
95歳の方のはなし。
旧満州で時計店をやっていた。
戦争が終わりシベリアに連れて行かれた。
シベリアは寒かった。
食べ物はジャガイモだけ。
よく生き残った。
亡くなった人もいた。
亡くなった人を土に埋めたかったが
氷が固く穴を掘れなかった。
少し暖かくなると、
オオカミがでてきた。
木の伐採。
土を盛る作業をおこなった。
■講演6 
太平洋戦争について 
全般的なはなしがあった。 
郷土史家によるはなし。

■講演7 
下館空襲   
小学生の時に体験した戦争。
防空壕堀り、軍事訓練。
畑でサツマイモを植えているときに
「ダッダッダッ・・・」という機銃掃射の音。
無我夢中で山林の中に避難した。
家では、多くのコメを作っていたが、
大変な食糧不足になった。
■講演8  
下館飛行場のはなし   
若い操縦士の操縦訓練施設として
下館飛行場はできた。
戦争末期に、
特攻隊の訓練基地となった。
戦闘機は、疾風が配備された。
若い特攻隊員が、下館を飛び立ち、
沖縄周辺の海上で米軍艦艇に突撃し、散華した。

■講演9  
戦いにいったひとの詠んだ歌集
■講演10  
笠間からこられたかたのはなし  
ロビーに展示されていた
親族のかたの写真のはなしをされた。
■講演11  
シベリア抑留とズボン   
講演者の夫は通信兵として旧満州で終戦を迎え、
2年間のシベリア抑留を体験。
酷寒の地で貧しい食事。
カーキ色のズボンは引き揚げ時にはいていたもの。

疾風のプロペラと車輪の実物(左端)

■特別講演  
寄せ書き国旗と 神風特攻「遺品」の里帰り 
横浜市在住の講師 
特攻隊員の遺品返還。 
B29日米合同追悼式のはなし。
戦時中、
アメリカ兵が勝利品として
持ち帰った寄せ書きの日章旗が遺族に戻ったはなし。 
特攻隊遺品のなかに時計がある。
この時計は本来は腕につけるものだが、
腕から外して体の前に着けていた。
米空母に突入し司令塔根本近くの甲板に突入。
突入のショックで時計は体の中にはいった。
米兵が身体からとりだし持ち帰った。
遺品となった時計には血糊がついているように見えた。 

■講演12  
筑西市の若い夫婦のはなし 
奥さんの戦場にいった父の想い出。
■講演13  
■講演14  
小美玉市からこられたかたのはなし

他にこのあとも講演が続いたが
時間切れでここで会場をでる。
翌日10日は、戦い跡めぐりがあったようですが、
天候が悪く不参加としました。
戦争にいかれたかたは、
大変な高齢になられている。
貴重なおはなしを聞かせていただきました。
感謝いたします。