13/12/6 那珂市静 静神社。
静神社一族の墓
墓より静神社の鳥居をみる。
倭文部可良麻呂
足柄の み坂たまはり かへりみず
我れは越え行く 荒し夫も
立しやはばかる 不破の関 越えて我はゆく
馬のつめ 筑紫の崎に 留まり居て
我れは斎はむ 諸々は 幸くと申す 帰り来までに
常陸風土記 久慈郡のところに
郡こおりの西□里に、
静織しどりの里あり。
上古之時いにしへ、綾しずを織る機はたを知る人在あらざりき。
時に、此の村に初めて織りき。
因よりて名づく。
石碑の記載
続いて常陸風土記には、赤メノウの記載あり。
北に小水おがわ有り、
丹あかき石交錯まじれり。
いろは王扁碧へんへきに似て、
火を鑚きるに尤好いとよし。
以もちて玉川たまがはと号なづく。
・・・玉川の赤メノウはむかしから火打石として利用されていた。
むかし
静神社の近くに織物を得意とする人々が移り住み、
「静織りの里」と呼ばれた。
現在の静神社の宮司さんは斎藤さん。
斎藤監物は、ご先祖様。.
桜田門外の変の主要メンバーである。
童謡作家野口雨情の生家にも、
桜田門外の変に関係したご先祖様の資料がある。
静神社は瓜連城に近く、
常陸南北朝史においては、
重要な舞台になったのではないか。
かつては、
神社のまわりに10くらいの寺があった。
静神社は、
何かと謎めいた神社に感じる。
倭文は、しどり しづり とよむ。
静織しどりとよむ。
斎藤監物の漢詩に
兒島高徳と題するものがある。
踏み破る千山
萬岳の煙
鸞輿今日
何れの邊にか到る
單蓑直ちに入る
虎狼の窟
一匕深く探る
鮫鰐の淵
報國の丹心
獨力を嗟き
回天の事業
空拳を奈んせん
數行の紅涙
兩行の字
櫻花に附與して
九天に奏す
兒島高徳が
後醍醐天皇の隠岐にながされるのを
奪還しようとしたことをうたったもの。
この詩が夏目漱石の坊ちゃんにでてくる。
会津出身の山嵐が詩吟する場面で
踏み破る千山 萬岳の煙・・・・
というのである。
なぜ夏目漱石が、
斎藤監物の漢詩を会津出身の山嵐にうたわせたのか。
山嵐は、
会津藩出身で弘道館四天王のひとりと言われた西郷四郎の得意技。
西郷四郎は小説姿三四郎のモデルでもある。
静神社には、この漢詩を
政治家であり実業家である鉱山王
久原房之助の書いた書が額にはいってある。
常陸の国二の宮の静神社は、
謎めいている。
南北朝前後をはじめ、
織物の里から現在に至るまでどのような変遷があったのか、
興味がある。