12/9/8 美浦村土浦 
陸平おかだいら貝塚発掘調査見学会。
陸平貝塚公園には、
縄文遺跡「陸平貝塚」と
「美浦村文化財センター(陸平研究所)」がある。
案内図。

陸平貝塚は、
日本屈指の規模を誇る縄文時代の貝塚遺跡。
縄文時代は、
霞ヶ浦に浮かぶ島、島状の台地だった。
面積約3万m2の台地を取り囲む
斜面に残された貝塚群。
縄文時代早期(約7,000年前)から
後期(約3,500年前)のもの。
1879年、東京大学の学生だった
佐々木忠二郎と飯島魁いさおのふたりにより、発掘調査された。
日本人だけによる
近代科学的な発掘調査が初めて行なわれた。
日本で最初の発掘調査は、東京大森の大森貝塚で、
アメリカ人モースさんにより行われた。
佐々木さんと飯島さんは、モースさんの教え子。
なぜ、陸平で、発掘をおこなったのか?
東京から近いからか?  
明治時代の学生さんは「偉い」。
なお、もともと陸平の名前ではなく、
岡平という地名だったらしい。
二人の学生さんが「陸平」と変えてしまったようだ。
しかし、岡よりも陸のほうがよいように思う。
霞ヶ浦に平らな台地がある
・・・陸平そのものに思える。
美浦村文化財センター(陸平研究所)

陸平貝塚周辺の縄文時代遺跡。

縄文時代中期前葉。
文様がすばらしく思える。

縄文時代後期

展示室内

双口土器(そうこうどき) 縄文時代後期 複製
・・・・何に使用したものか??   
・・・・・本物は東京大学にある?

貝層の剥ぎ取り断面

佐々木さんも宿泊した
旧川岸屋旅館の壁に描かれていた土器文様。 
いたずらがきか、頼まれて書いたものか?

太陽とか、草とか、波とかをかいたものか?  
よくかけていると思います。



発掘調査見学会  
文化財センタより発掘現場に。







D貝塚の東部とE貝塚に接する台地上に、
トレンチとよばれる調査区が7か所設けられていた。
手前の水は、湧水によりたまったらしい。
少し掘ると水が出てくる。
周りに高いものはないのに不思議だ。

縄文時代早期の貝層。

ハマグリ、ハイガイ、マガキが見られるとの説明がありましたが、
写真の貝の種類は・・・
わたしにはわからない。

復元竪穴住居。

陸平A貝塚 
佐々木さんと飯島さんが発掘調査したところに近いと思われる。
木や草が多く、ちょっと貝などどこにあるかわからなかった。
少し、涼しくなったらよくわかるかもしれない。

陸平D貝塚
足元に貝がいっぱい。 
貝を踏まないと歩けない状態でした。







ぶくぶく水・・・なぜか湧水がおおい。

里山交流館

里山ゾーン

美浦正調俚謡発祥の地安中
みほせいちょうりようはっしょうのち あんじゅう

美浦村文化財センターの皆様には、
いろいろと教えていただきました。
ありがとうございました。
昼食まで御馳走していただきました。感謝であります。
美浦正調俚謡について
文化財センター正門脇に顕彰碑があった。
ちょっと、遺跡とは、関係ないようでしたが、
気になりました。
帰ってから、自宅で少し調べてみました。
7+7+7+5の26文字でうたを読むようです。
考え過ぎず、
自然体で、
思い浮かんだことばを使い、
思いでや経験を感情豊かに表現する・・・らしい。
昭和の初めより、
日和吟社ひよりぎんしゃにより、
現在も多くの方が活動されておられるようです。
「厳し世相に 負けておれぬ 
住んで良かった 村づくり」
「縄文まつりの かかり火落ちて 
酔いに傾く 北斗星」

「陸平も俚謡も 郷土の誇り 
美浦に息づく 文化の芽」

縄文遺跡や文化財を誇りに思う詠み人の想いを感じます。