12/7/27 水戸市内原町 水戸市内原郷土史義勇軍資料館。
満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所の史跡





心得が掲示されていた。
・・・開拓地での大変さが想像できる。
古の武士に負けるな。
生命を尊び死を恐れるな。
仲良くせよ。
常に工夫せよ。
他民族を敬せよ。
家へ便りを欠かすな。
他人に親切にせよ。
楽は人に譲り、苦は己に引き受けよ。
規律を重んじ、命令に服せ。
歩哨は、任務を厳重に守れ。
武器は大切にし、手入れを怠るな。
農具も武器と心得よ。
部屋はよく整頓せよ。
灯火は、外に漏らすな。
火の用心をせよ。
水を粗末にするな。
独り外出するな。
堂々と歩け。
口を堅く結べ。
雑談を止めよ。
愚痴を言うな。
元気一杯で働け。
丈夫の時は、身体を鍛錬せよ。
病気の時は、医者の言うことを守れ。
生水を飲むな。
毎週夜具類を干せ。







日輪舎が復元されている。
草原のパオを模したデザイン。
内原に、このようなものが300舎あった。
ひとつの舎には、数十名が生活する。
舎は、建てやすい。訓
練生がつくった。





内原駅・・・・内原駅からは多くの訓練生が満州に向けて出発した。
地蔵院、本法寺別院は、
亡くなった方の供養がおこなわれており、慰霊碑もある。
内原訓練所の碑と日輪舎記念館

大きな記念碑には
「満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所之跡」
と刻されている。



開拓団の碑

渡満道路の桜並木
・・・訓練所と内原駅 
約1.5kmの道路は義勇軍が改修した。
桜も植えられた。

加藤完治先生の銅像
・・・義勇軍訓練所所長
義勇軍資料館近くにある
日本農業実践学園の中にある。
義勇軍訓練所河和田分所
・・・義勇軍訓練生の増加によりつくられた。
満州開拓とは。
昭和初期の世界的恐慌。
日本の農村も疲弊していた。
国の政策として、満州開拓移民が推進された。
当時の日本の農家数は、560万戸。
そのうち、100万戸を移住させ、
5人家族として500万人の移民が進められた。
農業移民は、
家族で移民する「満蒙開拓団」と、
青少年による「青少年義勇団」があった。
内原には、
日本で唯一の青少年義勇軍の訓練所があった。
訓練は、3か月間行われた。
内原での訓練後、満州に渡り
さらに、3年間の農業実習を受けた。
3年間の農業実習を終えると、
10町歩の土地を国から与えられた。
昭和13年から20年まで、
内原の訓練所から
8万人を超える訓練生が満州に渡った。
戦争の拡大につれ、多くの犠牲者がでた。
また、シベリアに抑留されたひとも多い。
訓練生だけで、
2万人以上の人が日本に帰れなかったという。