12/7/27 水戸市河和田町 本法寺別院 日蓮宗。
妙栄山本法寺





極楽世界の碑  
「極楽世界」は、
元満州開拓者青少年義勇軍や満州開拓関係殉難者の霊を祀る。
納骨墓所として中国黒龍江省哈爾濱市郊外に建立された日本人公墓。
その後、
日中国際事情や現地人民への心情的配慮から改称、改建。
2002年春までに現地に立てられていた。
維持困難なことより、
石碑は日本国内に持ち帰ることになった。
遺骨の回収はできず、
持ち帰りは困難な状況らしい。 
石碑は、2枚の石碑を合わせたもの。
中国の様式。

拓魂の碑 
五族協和、王道楽土、満州国建設の大志を抱いて、
民族を越え戦争のない、
すばらしい村づくりを夢に海を渡った、
青少年の数、86,530人。
「丈夫で仲よく迷わずに」を教訓とし、
鍬の柄を肩に、勇壮なラッパ鼓隊に送られて渡満する。
戦争という極限のなかで、
1945年8月9日に、すべては壊滅する。
多くの青少年が大志半ばにして、
満州の地に残した悲惨さに、言葉も無い。
40有余年過ぎて、
今では、彼らの前に香を手向ける人もない。
一輪の花もない。
彼らの農事訓練の場、河和田のこの地、
100町歩余は、己々の心には、
忘れることの出来ぬ
農業の尊厳さが刻みこまれたとおもう。
この因縁深き地の本法寺境内に、
彼らの勇気を称え、散っていった多くの同志の夢を慰める。
1991年8月8日  拓魂碑を建立

住職さんに聞いた話。
河和田町には、満州から引きあげてこられた方が多く住んでいる。
道路、本法寺別院側は、訓練所で指導した人、
反対側は、引き上げてから住んでいる方、
長野県出身の方が多い。
もともと住んでいた人は、少ない。
住職さんの親は、山形県のひとで、
訓練所で指導をしたひと。
満州で亡くなられた方、
引き上げてから亡くなられた方の
慰霊を供養するために本法寺別院をつくった。
お寺は、作ってから新しい。
日蓮宗は、住職さんの実家の宗派が、日蓮宗だったため。