12/6/9他 高萩市高萩 菊池寛実記念高萩炭礦資料館。 





■第一展示室







石炭。高萩炭鉱のもの。
約7,000〜3,000万年前の石炭。
高萩の石炭は、火力が弱かった。



■第二展示室  ジオラマ 1965年当時の炭鉱町を600分の1スケールで再現。



■庭園 彫刻が数点展示されている。

高萩炭礦創業者故菊池寛実氏のレリーフ

石炭の運搬に使用されたトロッコ

珪化木けいかぼく。
木石ともいう。
3000万年前の木。
石炭になりそこなった木。

高萩には、江戸時代末から、昭和40年代まで、炭鉱があった。
高萩市内に、高萩炭鉱、向洋炭鉱、望海炭鉱があった。
1851年 常陸松岡藩は、石炭の採掘をはじめた。
神永喜八が、
上小津田地内塩平と小豆畑地内芳に2坑を開き、
江戸に運んだ。
1856年 松岡藩から石炭を、馬で川尻湊へ、船で那珂湊へ運んだ。
水戸藩の那珂湊の反射炉に使用された。  
明治時代は、「狸掘り」と呼ばれる個人炭鉱が多かった。
1891年、手綱炭鉱創立。
1892年、千代田炭鉱創立。
1895年、高萩炭鉱を創立。
1896年、秋山炭鉱創立。1897年、高萩駅開設。鉄道 水戸〜平 開通。
1894年、手綱炭鉱と千代田炭鉱が合併、手綱炭鉱株式会社創立。
1904年、手綱炭鉱合資会社設立。
1905年、高萩炭鉱株式会社設立。
1910年、手綱炭鉱は、清田炭鉱株式会社と改称。
1916年、清田炭鉱は、干代田炭鉱株式会社に合併。
1921年、千代田炭鉱株式会社は、茨城採炭株式会社に合併。
1937年、櫛形炭鉱株式会社設立。
1940年 菊地寛実、高萩炭鉱株式会社設立。
1946年、高萩駅より引込線を開通、石炭輸送はじまる。
1948年、望海鉱、高萩炭鉱より分離独立、
望海炭鉱株式会社となる。
1954年、高萩市制誕生。
トラック輸送の発達で、軽便鉄道、トロッコ馬車鉄道は廃止。
石炭は、石油・ガスに移行し衰退した。
1967年、高萩炭鉱株式会社閉山。
1968年、向洋炭鉱株式会社閉山。
1969年、高萩炭鉱株式会社炭鉱閉山後、大心苑を経営。
1972年、望海炭鉱株式会社閉山。