11/6/4 高萩市上手綱 穂積家住宅
江戸時代中期の豪農の住宅。
1805年 上手綱村の鈴木太郎左衛門が、
松岡領主中山氏の郷士
(地方武士の身分で苗字、帯刀を許される)となり、
姓を穂積、名を津太夫と改めた。
穂積家は、江戸時代後期の農村社会の変貌とともに大地主となる。
豪農といわれ、
商品経済の波に乗り、
財力を生かし、木材業、酒造り業、
金融業も営み、富を蓄えた。
長屋門。
ブルーシートは、震災により改修中の前蔵。
門の壁も一部落ちている。
主屋
萱を数段に積み重ね、
中に竹の節裏を白く塗って飾る。
角のところは市松模様。
五段萱葺中竹揃角市松模様。
酒の入れものは「穂積蔵」とかかれている。
回遊式庭園
衣裳蔵
母屋の中に、
母屋解体修理時の記録ビデオがあり、
よく解体修理の方法がわかった。