11/5/7  小美玉市高崎 小美玉市玉里史料館
生涯学習センター コスモス内
縄文時代、
霞ヶ浦は海だった。

弥生時代、
玉里の地に米作りが伝わり、
人々の生活が変化。

古墳時代、
力を持った支配者があらわれる。
舟塚古墳出土埴輪。

舟塚古墳の円筒埴輪。

舟塚古墳築造想像図



古代、律令制の始まり。
中世。
武士が覇権を争った時代。
薬師如来坐像(極楽寺)。

江戸時代、
この地を直轄地とし漁業権を独占した水戸藩、
田畑を耕し、生きていく農民。
玉里御留川たまりおとめがわ 
水戸様の網場。
江戸時代初期、
霞ヶ浦の漁業は48集落の自主管理だった。
幕府は、箕和田浦を御留川(専用漁場)に設定。
1625年、水戸藩も玉里地先の水域を区切り、
玉里御留川にする。
舟入、活洲、会所、納屋を備えた御用納屋場をつくる。
鯉、鮒、ウナギ、エビが評判だった。

高瀬船。
霞ヶ浦、利根川水系の貨物運搬として使われた川船。
米500俵を積むことができた。
船頭と水主(乗組員)3人が乗った。
紺色の旗は水戸藩の船印。