10/5/16 桜川市西小塙 月山寺がっさんじ 天台宗 
曜光山見明星悟道院月山寺
べっとうようこうざんけんみょうせいごどういんがっさんじ
開基 796年徳一上人。 本尊 薬師如来。
山門





本堂









千手堂



神社

鐘楼





美術館前の石碑

伝教大師像

■美術館でのはなし。 
1階は、地元出身画家の絵が展示されている。
2階は、月山寺に伝わる、
弁慶が背負ったと網代笈(あじろおい) 、
中将姫蓮糸三尊種子刺繍曼荼羅、
薬師如来像、
木村武山がかいた襖絵などが展示されている。  
■美術館では、95歳になられた自称修行僧Sさんに館内を案内いただいた。
とくに、
Sさんの語られた戦争で弾の下を5年以上体験された話は、
強く印象に残った。
22歳のときに支那事変で出兵。
鉄砲の弾の下をくぐってきた。
戦争の生存は交通事故と同じ。
運がよければ生き残る。
上海で3年数ケ月。
一時日本に戻る。
結婚。
その後、満州で1年数ヶ月。
5年以上を国のために戦争で戦った。
靖国は、国の為戦争で戦った人々が眠る場所。
祀らなければならない。
お参りもしなければならない。
南京城は、門が13(?)ケ所ある。
3ケは、開いている。
日本の攻めた、閉じられた門は、土嚢が高く積んであった。
中国側は逃げ足がはやい。
門を開けたときはだれもいなかった。
民間人と兵士の区別がつかない。
兵士は、民間人のなかにまぎれこむ。
中国と日本の戦いを扇動したのはアメリカ。
アメリカは共産圏が伸びてくるのを恐れた。
中国と日本を戦わせることによって、
双方の武力を弱めようとした。
戦わせるようにした。
アメリカは、中国に対して、武器と食料を次々と支援した。
中国はどんどん奥に逃げていく。
日本は、食糧、武器の補給が困難に成ってきた。
今、数えで、95歳になった。
玉村部隊での戦友はひとりいる。
脳梗塞でたおれて苦労されている。
田母上さんは、正しいことをいっている。
正しい事実である。
政府の見解はおかしい。
以下、美術館にあったSさん資料より。
昭和12年6月、上海事変勃発。
直ちに陸軍大将松井石根閣下に、
中支方面軍司令官の任命が下る。
名古屋第3師団、及び熊本第6師団に出動命令が下る。
同時に、水戸二連隊で編成された玉村部隊も、
松井軍司令部の指揮に入る。
上海に敵前上陸。
敵の強固な既設陣地、
大場鎮、廟行鎮の強固なトゥーチカ陣地を突破。
敵は、最後の拠点陣地南京城に入った。
松井軍司令部は、
上海、蘇州、無錫、常洲、鎮江、北方より攻略戦に入る。
同時期、第10師団が杭州に敵前上陸した。
この軍団の中に水戸2連隊で編成された、百二連隊。
皇居より新しい軍旗を奉持した千葉部隊(百二連隊)東方より、
南京城に迫りつつ進入した。
松井軍司令部とともに、
南京城攻撃に参加した玉村部隊の老兵、
いまだに健在なり。
心ある方は、
戦友が脳卒中で、
右手が使えず左手で中支戦線の感想を書いた一節をお読みください。
あれから70年。
上海、蘇州、無錫と[ ]にして南京[ ]江南の戦線夢なれや。
生きながらいている残兵、
万物流転残照を生きる悔いなし。 
思い出のあの戦線を。
N生 玉村部隊330名。
生存戦友唯一人。

■パラオ諸島のペリリユー島のはなし  
守備隊が全滅したペリリユー島のはなし。
陸軍最強の軍隊と知られた、水戸第二聯隊。
明治7年春弥生、
明治天皇より宮中において、御親授されて以来、
日清、日露、満州、支那事変。
各地に転戦、
その間各司令官より御嘉尚11回。
昭和19年3月28日、
関東軍令下をはなれて、
南方パラオ諸島の「ペリリユー島を死守せよ」との命を受ける。
4月18日午後17時二見港出発。
4月24日、11時30分 パラオ港ガレツ泊地到着。
4月26日 5時3分 
中川聯隊長は各隊連絡将校、下士官、通信兵、ペリリュー島に上陸する。
パラオ諸島のペリリユー島に海軍航空隊の飛行場、航空基地、
米軍は、飛行場奪取が最大の課題として上陸する。
日本軍絶対国防圏最後の砦なり。
日本大本営命令。
「ペリリユー島守備隊は、最後の1兵になるとも同島死守せよ。」
ペリリュー島 南北9キロ 東西 3キロ。
島中央部 大山、水府山、富山、天山、中山、東山、観測山90m。
ペリリュー島飛行場 1200m 滑走場(路)2本有り。

米軍ペリリユー 日本軍守備隊兵力
海兵隊 48,740名 11,797名
小銃 41,434丁 5,066丁
機関銃 729 258
火砲 729門 258門
戦車 117台(水陸用戦車) 12台(軽戦車)
艦艇 600隻 0

米軍再兵力 
7月25日より  艦隊兵 戦艦4隻  重巡 3隻  駆逐艦 17隻。
3日間砲弾17万発(3,490トン)。
昭和19年7月21日 サイパン島玉砕。 
7月25日 ガム島守備隊玉砕。 
8月24日 テニヤン島守備隊玉砕。
ペリリユー島へ、
9月15日より米軍の上陸が始まる。
9月15日早朝。
日本軍よりの無電。
「ウメ・・・ウメ・・・ウメ・・・・」。
ペリリユー島守備隊、敵上陸部隊を撃退するの無電。
7月16日、第2回敵再上陸。
ペリリユー島飛行場占領される。 
米軍は益々増強される。
我が軍には、武器弾薬、食料の補給なかった。
11月24日 勇戦敢闘70余日間、
パラオ第14師団本部へ最後の決別電報
「サクラ・・・サクラ・・・サクラ・・・くり返すサクラ・・・サクラ」
日本軍部本隊はやむなく大山、水府山連地に後退。
栄光に輝く水戸二聯隊旗、大山に奉焼。
中川聯隊長軍旗とともに従容と自決。
残在兵56名、聯隊副官、根本甲三郎大尉は、17組の斬込隊編成。
行動不可能重傷者自決。
11月27日頃全員戦死せり。
ペリリユー島守備隊全員玉砕。
年11月29日ペリリユー島守備隊に対し2階級特進。
中川聯隊長 歩兵大佐→中将  
聯隊副官、根本甲三郎大尉→中佐  
将校下士官・兵 同左  
ペリリユー島、大山の山上米軍の記念碑に
米軍艦隊司令官ニミツツ大将のことば  
旅人よ、日本の国を訪れること有らば伝えよ  
ペリリユーの日本軍守備隊は、
祖国日本のため全員忠実に戦死せり  
合掌

■爆弾三勇士  
竹製の即席爆薬筒を抱いて鉄条網に突入爆破して、
自らも壮烈なる爆死をとげた3名「爆弾三勇士」のはなし。

■死んでしまっては何も考えられなくなってしまうのでだめだ。
戦争では、命令は絶対のものであり、
上官の意思により玉砕する場合もある。
玉砕しない場合もある。
・・・戦争はよくない。

■釈迦涅槃  
釈迦涅槃の中で、
樹木生を受けている動物鳥類すべてのものが中。
小さい動物だが、かわいそうだけど、
お前さんだけはいれてあげることができないんです。
何という動物でしょうか。
ハイそれはネコさんです。
涅槃の画にはネコがかかれていない。
ネコは魔物と考えられている。

戦前には、このようなことを皆が知っていた。
お寺の山門でも、入るとき、帰るときは挨拶をするように教えられた。
今は、このようなことがなされなく、忘れられてしまった。

■掛け軸の梵字は、姫の髪で刺繍されている。
土曜、日曜の晴れた日に案内している。


■Sさんのことば。
帰り際に、写真を撮って送ってくれ。
はじめてあったあなたさまにいろいろと何故かはなしてしまった。
もう二度と会うことは無いだろう。
不思議だ・・・。
写真のため着替えてこられたSさん。
Sさんの書かれた絵・書を数点いただいた。
後日、写真を送った。
優しい善い顔をされていた。