10/5/1 鹿嶋市宮中字城山 鹿島城
別称 吉岡城  
鉢をふせたような地形、鹿島城跡、
かつては鹿島氏の居城。





鹿島氏は、鎮守府将軍平貞盛から出た。
貞盛の父、国香は、常陸大掾で荘園を所有。 
貞盛は領地を跡継ぎの維幹にあたえる。
その支族清幹は吉田に住む。
清幹の第3子成幹は、鹿島に居を定めた。
鹿島冠者と称す。
成幹の子、政幹は鹿島三郎と称し、
1181年3月、源頼朝の命で鹿島神宮総追補使となる。
頼朝は、佐竹秀義を追討時、鹿島の神に起請文を書き、戦勝を祈願。
武士1人を派遣、神宮に奉仕させる。
政幹は、城を築き吉岡城となる。
政幹より8世幹重は、1368年鹿島総大行事になる。
1523年、幹重より7世義幹は、城郭を修理。
その後、常陸平氏は、佐竹氏に敗れた。
鹿島氏は神宮に奉仕し、領地を復興。
常陸国一の宮の重職となり、古来のしきたりを維持。
(鹿島城址記念碑より)