10/4/11 稲敷郡阿見町大字青宿 予科練記念館 雄翔館ゆうしょうかん
予科練跡(現在は武器学校土浦駐屯地)見学→
予科練平和記念館→
雄翔館  
医務科跡 
予科練跡に展示されている戦車













予科練平和記念館  稲敷郡阿見町大字廻戸

予科練平和記念館となりの雄翔園



雄翔館

雄翔館内には、
昭和10年から20年くらいにかけて
予科練の卒業生とおもわれる
写真、遺書等が年代順に並んでいた。
昭和19年、20年、特攻隊、
神風特攻隊の前では、
涙が自然と出てきてどうしようもなかった。
国のためとはいえ、
20歳前後の優秀な若者が死んでいった。
英霊に頭が下がる。
亡くなった若者と両親はじめ
多くの人々のことをおもうと何もいえない。
昭和19年、20年は
戦争も終わりのほうにきていたのだとおもう。
無言の写真や手紙の筆跡から伝わってくる、
若者の想いがガラス越しではあるが、
ひしひしと伝わってくる。
私が生まれるわずか8年前に起きた
この現実をみると涙が出てくる。
わたしを育ててくれた両親から
このようなことを聞いたことがない。
戦争を経験された父も母も、
大変なことを経験されたものとおもう。
本当に苦労されたのだろう。
頭を下げるだけである。
「戦いをしてはいけない」というが、
敵が現れたら戦わなくてはいけないとおもう。
しかし、戦いには悲惨な現実がある。
どうしたらよいのだろうか?・・・・。  
若鷲の歌(予科練の歌) 
作詞 西條八十 作曲 古關裕而  
1. 
若い血潮の予科練の 
七つボタンは桜に錨   
今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ 
でっかい希望の雲が湧く  
2. 
燃える元気な予科練の 
腕はくろがね心は火玉   
さっと巣立てば荒海越えて 
行くぞ敵陣殴り込み  
3. 
仰ぐ先輩予科練の 
手柄聞くたび血潮が疼く   
グンと練れ練れ攻撃精神 
大和魂にゃ敵はない  
4. 
生命惜しまぬ予科練の 
意気の翼は勝利の翼   
見事轟沈した敵艦を 
母へ写真で送りたい