9/12/18 10/6/27 常陸大宮市東野 法專寺ほうせんじ 真宗大谷派。
楢原山法徳院。
二十四輩 第十九 明法房。
山伏・弁円(明法房)が1226年、開基。
明法房はこの地で真宗の教えをひろめた。
聖徳太子立像。
親鸞聖人坐像。
玉清井たまきよい
日本武尊が東征のときに飲料としたという。
水底に無数の玉石が輝いていた。
寺の前を流れる川を玉川と呼ぶのはそれに起因している。
村の名前や駅の名前も玉川村になった。
(説明板より)
お寺で、お茶をごちそうになりながら、いろいろと教えていただいた。
「摂取不捨」と書かれた書が額に入り掲げられていた。
立派な、力強い気持ちの入った、4文字だった。
摂取不捨 意味。
仏が生きているものすべてを見捨てず、仏の世界に救い上げる。
「摂取」はその慈悲心で衆生を仏の世界に救うこと。
「不捨」は仏がどのような生き物をも見捨てないということ。
寺の横から弁円の塚へ続く遊歩道。
明法房山伏弁円の塚
明法房は、平能宗よしむねといい、平清盛の孫。
平家滅亡後、山伏の苦行に励む。
豊前僧都播磨公弁円と名乗り、人々の信仰を集める。
1212年、常陸国主4代佐竹秀義は、常陸大宮市東野に法徳院を建立。
弁円を先達として寺領500石で招く。
当時、法徳院は末派35坊と門弟100余名となる。
1217年、親鸞が稲田で草庵を結ぶ。
教えは広がり、弁円の勢力をおびやかした。
弁円は親鸞を憎み、稲田の親鸞を襲う。
しかし、親鸞の教えに帰依して門弟となる。
明法房と名乗る。
1226年、明法房は楢原山法徳院法専寺を創建。
1251年、72歳で往生。
(説明板より)