9/12/5 日立市大みか町 大甕神社おおみかじんじゃ
祭神、武葉槌命。
造営が最初に為された年代は不詳。
1689年、水戸藩により大甕山上より現在の地、宿魂石上に遷宮。
大甕倭文神宮という神宮の号を用いる。
1695年、水戸藩により社殿が造営される。
1751年、修復工事。
1933年、現在の拝殿が造営される。
1957年、現在の本殿が造営される。
鳥居

拝殿





御祭神、武葉槌命と甕星香々背男の戦い?

宿魂石。本殿入口。



宿魂石上の本殿









儀式殿



国道6号をはさんで神社がある。

祖霊殿への参道

祖霊殿

■鎮座地の治革
大甕は、甕星香々背男という悪神が占拠していた。
南北朝時代、
南朝方北畠顕家の軍勢と北朝方佐竹畠義との間で、
甕の原の戦があった。
江戸時代、
奥州の大名の参勤交代をはじめ人々の往来も多くなる。
元禄の頃、
水戸藩主度々の社参を受ける。   
■御祭神の御事
創祀年代は不詳。
御祭神、武葉槌命は神代の昔に皇室の祖先。
天照大御神の命令により、
鹿島神宮の御祭神武甕槌命と共にこの常陸国を平定。
日本民族を一つにまとめた、日本建国の大功神とされる。
「大甕倭文神宮縁起」に次のように伝えられる。
天照大御神が天孫瓊瓊岐尊を豊葦原中津国に降臨。
その時、鹿島・香取の2神は
葦原中津国の国津神・荒ぶる神々を鎮撫、
掃蕩する任を負わした。
2神は国津神等の国譲り、
荒ぶる神々の掃蕩、国中の草木石類に至るまで平定。
しかし、常陸国大甕に、悪神、甕星香々背男が陣取り
東国地方の陸地、海上に勢力をもっていた。
鹿島・香取の神も、
この勇猛なる大勢力の前に為す術がなかった。
そこで、甕星香々背男討伐を負わされたのが、
大甕神社の御祭神、武葉槌命。
武葉槌命は、武神、知恵の神。
命の戦略の前に甕星香々背男も敗れる。
大甕神社の神域を成す宿魂石は、
甕星香々背男の荒魂を封じ込めた石といわれる。
(大甕倭文神社のしおりより)