9/11/28他 常陸太田市増井町 
正宗寺しょうじゅうじ 臨済宗円覚寺派
万秀山。本尊、木造十一面観音菩薩坐像。
1431年、開創。開山、夢窓疎石。
開基、佐竹氏一族、月山周枢がっさんしゅうすう。
太田城の城主、佐竹氏とゆかりの深い
勝楽寺、正法院、正宗寺が棟をならべていた。
923年、平将門の父良将が創建。
創建当初は勝楽寺。律宗。
1223年、佐竹氏4代秀義が勝楽寺の境内に正法院を創建。
1431年、9代貞義の子、月山周枢が夢窓疎石を招き,正宗庵を創建。
10代義篤が、正宗庵を臨済禅刹に改めて正宗寺とする。
一時、3社合わせて、寺田4万石とも云われ隆盛を極めた。
その後、勝楽寺と正法寺は争乱によって衰える。
正宗寺は、佐竹氏の菩提所として、関東十刹の一つになる。
江戸時代、徳川家光より朱印100石を受け、
12ケ寺の末寺があった。
1838年、総門の一部を残し焼失。
1839年、庫裏再建。
1870年、本堂再建。
1986年、本堂再建。
裏山には、佐竹一族の墓、宝篋印塔。
「助さん」の墓がある。
県道から正宗寺への道。
源氏川に木の橋がかかっている。
狭く、車が入るのが大変。

勝楽寺しょうらくじ
923年、平良将が創建。
律宗の増井寺。
1051年、源義家が、大瑞山勝楽寺と改称。
1596年、焼失。
正法寺しょうほうじ
1223年、佐竹4代秀義が勝楽寺内に子院正法院を開設。
火災で焼失。
1285年、8代行義が、南明山正法寺を建立。

正宗寺遠景。

総門 室町時代の建築。
1838年、火事で唯一焼け残った総門。

扁額 海東禅

杉の木立が並ぶ参道が続き 本堂に至る。

柏槙。 推定樹齢、600年。

本堂。





阿形あけい仁王。

吽形うんけい仁王。

本堂



収蔵庫

大きなかえる。



鐘楼と庫裏

本堂の裏山に、佐々宗淳の墓がある。
水戸黄門漫遊記の「助さん」、本名は佐佐宗淳。
15歳で京都妙心寺の僧となる。
僧として約20年つとめる。
江戸に出て1674年、徳川光圀に仕える。
進物番兼史館勤務となり、
義公修史、史料の採訪収集に従事した。
1696年、彰考館総裁をやめ、
小姓頭として西山荘の光圀に仕える。
選文は格さんこと安積覚澹泊。
(案内板より)

佐竹一族の墓
宝篋印塔は、佐竹氏代々の墓塔と伝えられる。
銘がわからず何代の城主のものか不明。
墓塔の笠の四隅の飾り、突起の直立に近い形から時代は古い。
秋田への国替えに際し、
一族の墓石を秋田へ運んでいったともいわれる。
しかし、他の佐竹氏にゆかりがある寺に、
佐竹氏の墓石と伝えられる宝篋印塔が残っている。
秋田への国替えの際、位牌だけ秋田に移され、
墓石は、ここに残されたと思われる。
(案内板より)

正法寺跡近く。