9/8/18他  那珂郡東海村石神外宿 願船寺 真宗大谷派。
二十四輩 第14番 定信房。
華輪山真風院願船寺
親鸞聖人の弟子である定信坊が開基。
ある時、寺の庭に16歳の聖徳太子が現れた。
「稲田に親鸞という立派な僧侶がいるから弟子になりなさい」
と言って姿を消した。
そこで稲田を訪れ、親鸞の弟子となったと伝えられている。
願船寺は浄土真宗関東二十四輩旧跡の一つ。
佐竹氏の祈願所で天台宗寺院だった。
境内に清浄な泉があったことから当初は「願泉寺」。
徳川光圀が親鸞に感じ入り
「難度の苦海には四十八の願船あり」と述べて
一字を改めさせた。

親鸞が植えたといわれるイチョウがある。
樹齢750年といわれる大きな銀杏(公孫樹)。
江戸時代末期、
水戸藩の仏教弾圧政策により、
全身に火を浴び、枯れかけた。
1844年徳川斉昭による「自葬祭の儀式」により、
水戸領内の寺院はすべて廃止。
葬式は神式に、僧侶は還俗せよというもの。
願船寺の住職は抵抗した為、
水戸藩の焼き討ちにあう。
寺の建物はすべて炎上、銀杏も火にかかった。
しかし、3年後生き返り、現在に至っている。
親鸞お手植えとは、時期的に可能性があるということ。
(「茨城と親鸞」今井著より)





本堂  
親鸞の尊敬する、聖徳太子を信仰の対象としてきた。
寺には「絹本著色聖徳太子絵伝」がある。
絹本著色とは、絹の布地に彩色で描かれたもの。
聖徳太子絵伝とは、聖徳太子の一生を絵で描いたものという意味。
(広報とうかい7/2/25より)



東海十二景
願船寺晩鐘がんせんじばんしょう  
晩鐘は韻々として野面を渡り、
遥か阿武隈の山波に消えて行く  
ひねもす働ける者の安らぎよ、
つつましき祈りよ