9/2/22 福島県会津若松市山鹿町 
山鹿素行誕生の地・直江兼続屋敷跡  
山鹿素行誕生の地
山鹿流兵学をおしえ、
赤穂四十七士の生みの親。
1662年、町野左近の邸内に生まれた。
会津藩主は、蒲生忠郷。
ここは、武家屋敷が多く並んでいた。
素行は、父が伊勢亀山から会津に来た年に生まれた。
6歳の時、父に従い江戸に出る。
9歳で林羅山の門に入る。
儒学・国学・新道・兵学をきわめる。
兵学では、山鹿流の一派をなした。
1926年、東郷平八郎の書により、碑が建立された。
(案内板より)

直江兼続屋敷跡でもある。
この場所は城に近く、「本一之丁」と「大町通り」が交差する場所。
蒲生氏郷による町割以後、ここは重臣の屋敷がおかれた。
1598年、越後から会津に上杉景勝は移ってきた。
上杉家筆頭家臣、直江兼続の屋敷に、ここを与えた。
兼続は、景勝から信頼を受け、
米沢領(約6万石)の支配を任された。
1600年、景勝が神指原に新城を築こうとした。
兼続は、普請奉行としてその指揮にあたった。
関ヶ原の合戦で、徳川家康が勝利し、
上杉家は敵側として米沢30万石に減封された。(案内板より)