8/11/1 福島県耶麻郡猪苗代町字見祢山 土津神社はにつじんじゃ  
会津藩初代藩主・保科正之を祀っている。  
磐椅神社末社。 
創建 1675年。

神社正面

由緒(説明板より)
保科正之は、2代将軍徳川秀忠の第4子。
3代将軍家光の弟、高遠藩藩主・保科正光の養子。
1643年会津に封ぜられ、会津松平家の始祖となる。
神道を尊信し、
吉川惟足を師として専らト部家神道の伝を学び、
道の奥義を極める。
1671年、正之は惟足から霊号を「土津」と奉られる。
土(つち、はに)は宇宙構成要素の根元、
万物の始めと終りであり、信実の主体である。
会津の領主であるから「津」の字に無関係ではない。
このニつから「土津」となった。
公は、この時、
「余の没後は神道の礼をもって磐椅神社の神地に葬ってもらいたい」という。
1672年、自ら猪苗代の見祢山に登り墓地を定め、
「我が身はここに納めてくれ」と家臣に命じた。
「万代と 祝ひ来にけり 会津山 高天の原に すみかもとめて」と詠まれた。
惟足は、「君ここに 千歳の後の すみところ ニ葉の松は 雲をしのがん」と詠じた。
1672年、江戸に戻った公は容態すぐれず逝去。
友松氏興は公の遺命とおり神道の礼を尽くし、
見祢山に葬り、惟足を招いて葬事を行う。 
1673年、神祇管領長・吉田兼連がご神体を奉じて仮殿に安置。
この時より、神殿の営築を開始、1675年竣工。
神体を正殿に安鎮し、磐椅神社の末社とした。 
土津神社は、神殿・回廊などあったが、
明治の戊辰の兵火で焼失した。
今の社殿は1880年の造営。
拝殿

本殿

本殿と神楽殿

7つの末社
岩彦神社



信彦霊社



久彦霊社



幸彦霊社



進功霊社



石彦神社



忠彦霊社



保科正之公墓域への参道

奥の院  
会津中将源君之墓 
保科正之公墓地

保科正之墳墓  
1672年、会津藩初代藩主保科正之は江戸において、
62歳で亡くなった。
「我死せば磐椅神社の末社となりて永く奉仕せん」と、
自らの埋葬地を猪苗代湖が一望できる磐梯山麓に決めていた。
二代藩主正経は遺言どおり墳墓を造営した。 
(説明板より)

高さ約7mの土津霊神之碑  
碑文は山崎闇斎が撰文。
字数は1943、土佐左兵衛高庸が書く。
亀は中国伝来の瑞獣の一つで、松平家の将来の繁栄を祈願したもの。
(案内板より)



大山元帥直筆忠魂碑

御社之神?



弾圧されたキリスト教徒の遺骸が埋葬されている
「キリシタン殉教の地」