8/9/4 和歌山県伊都郡高野町高野山 壇上伽藍だんじょうがらん
壇上伽藍は、弘法大師が真言密教の思想を具現化した聖地。
大日如来の仏都高野山は、根本大塔を密教宇宙の中心軸とし展開。
諸堂の配置も高野山独自のもの。
高野山の中核となる部分。
伽藍の配置。

六時の鐘 
伽藍入口、石垣の上にある。
1615年、福島正則が建立。
1630年、焼失。
1635年、子息正利により再建。
今日に至るまで朝6時から夜10時までの
2時間おきに時をつげている。
(説明板より)



蓮池と太鼓橋
伽藍の南にある。
蓮池には1本の蓮もない。
蓮のない蓮池。
蓮池の中央には小島がある。
善女龍王を祀る社(やしろ)がある。
(高野山霊宝館ホームぺージより)

東塔  
1127年、白河法皇の願いにより創建。
中尊は、尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)。
脇仏は、不動明王、降三世(ごうさんぜ)明王。
1843年、焼失。
1983年、再建。
(説明板より)

三昧堂  
本尊、金剛界大日如来。
1166〜1169年、金剛峯寺座主済高上人が理趣三昧を修した。
1816年、再建。

大会堂 (奥は三昧堂)  
本尊、丈六の阿弥陀如来、脇侍は、観世音菩薩、勢至菩薩。
1175年、鳥羽法皇のため、五辻斎院内親王が建立。
奥之院近くから移築。
蓮華乗院と呼ばれたが、その後、大会堂と呼ばれる。
1848年頃再建。

不動堂  
本尊、不動明王座像。脇侍は、八大童子立像。
霊宝館にある。
1197年、鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王の願いにより、
行勝上人が建立。
14世紀前半に再建。
鎌倉時代後期に再建。
桧皮葺(ひわだぶき)、入母屋造の住宅風仏堂。
(説明板より)

愛染堂  
本尊、愛染明王。
1334年、後醍醐天皇の勅願により建立。
1816年、再建。愛染明王護摩と長日護摩をおこなうところ。
(説明板より)

根本大塔(こんぽんだいとう)  
弘法大師は大塔を真言密教の象徴として建立。
雷により、何回も焼け、その都度再建。
現在の塔は1934年に再建。
高さ48.5m、四方各25m。
高野山を象徴する八葉蓮華としての山々の中心にある。
高野山の教理上の中心としての大日如来を象徴。
方形の初層に裳層(もこし)をつけ、
覆鉢の上に屋蓋をかさねた一層塔。
内部には、胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏を安置。
諸仏の配置は真言宗の根本経典である
「大日経」「金剛頂経」による。
両者が不二であることを象徴している。
16本の柱には、十六大菩薩、壁には真言八祖像が描かれている。
(説明板参照)



大塔の鐘  
弘法大師が鋳造を発願、第二世、真然大徳により完成。
火災などで度々鐘楼が焼失。
改鋳される。
現在の銅鐘は、1547年のもの。
直径約2m。
通称、高野四郎(こうやしろう)と呼ばれる。
毎日午前4時、午後1時、午後5時(春季彼岸中日より
秋季彼岸中日までは午後6時)、
午後9時、午後11時の5回、鐘がつかれる。
(説明板参照)

御影堂(みえいどう)  
1843年、焼失。
1848年、紀州徳川により再建。
宝形造り。
五間四面の桧皮葺。
かつては、念誦堂、真言堂、持仏堂とよばれた。
御影堂の名は、
真如親王の筆になる大師御影を安置していることによる。

准胝堂(じゅんていどう)  
本尊、准胝観音。
973年頃、建立。
何度か焼失。
1883年、再建。
准胝観音は、高野山では、出家得度の観音さま。

孔雀堂(くじゃくどう)  
本尊、孔雀明王像。
1200年、後鳥羽法王の願いにより、建立。
1926年、焼失。1983年、再建。
請雨祈願に、孔雀経法が効果があるとのこと。
孔雀は害虫やコブラなどの毒蛇を食べる。
孔雀明王は「人々の災厄や苦痛を取り除く功徳」があるとされ
信仰の対象となった。
(説明板、Wikipediaより)



西塔(さいとう)  
本尊、大日如来像。
887年、弘法大師の遺志により、第二世、真然大徳が建立。
現在の西塔は、5度目の再建。
1834年、欅(けやき)材で柱間五間に五間で、たてられた。
方形の初層に、これを覆う裳層(もこし)と、
その上に小さな覆鉢をおく。
さらに大きな屋蓋で全体を覆う。 
柱は外陣に20本、内陣に12本、中心に4本、合計36本。
中心柱を加えて、金剛界37尊を象徴する。
(説明板より)
密教の世界は、曼荼羅で表される。
大日如来を中心に、仏が配置される。
金剛界と胎蔵界を両方表したものを「両界曼荼羅」という。
西塔の内部も両界を表す。
内部には五仏を安置。
中心は金剛界・大日如来像。
周囲は胎蔵界の四仏をおく。

御社(みやしろ)  
丹生(にう)明神、高野明神、十二王子百二十伴神をまつる。
弘法大師は、高野山開山時、
仏教と神の融和をはかろうと考えた。
819年、山高野山の地主神として、
丹生明神と高野明神(狩場明神)を勧請。
高野山の鎮守とした。
本社は山麓にある。
1594年、再建。
(説明板参照)

御社の鐘  
1846年の製作。

山王院(さんのういん)  
藤原時代の創建。
1594年、再建。御社の拝殿として建立。
九間三面、入母屋造りの建物。
山王院とは、地主山王を拝する場所の意味。
毎年、修行学道の竪精(りっせい)論議、月並問講が行われる場所。
(説明板参照)

六角経蔵(ろっかくきょうぞう)  
1159年、創建。
その後、焼失。
1934年、再建。
鳥羽院の妃、
美福門院寄進の紺字一切経(紺紙に金泥で浄写)を納めた。
現在、一切経は霊宝館にある。
(説明板参照)

金堂(こんどう)  
本尊、阿シュク如来(あしゅくにょらい)像。
山内の主な法要が金堂で行なわれる。
819年、伽藍の中で最初に創建。
その後、数回焼失。
その都度再建。
1926年、大火。本尊ほか焼失。
1934年、再建。鉄筋コンクリート造、屋根は入母屋造。

中門跡(ちゅうもんあと)  
847年、弘法大師弟子の実恵大徳により建立。
その後、数度焼失。
その都度再建された。
1843年焼失。
その後、再建されず、礎石のみ現存。
(説明板より)手前礎石のみ残る。
(奥は金堂。)