8/9/4 和歌山県伊都郡高野町高野山 普賢院 高野山真言宗
別格本山 1130年頃、力葉上人により、院が開かれた。
本尊 普賢菩薩
普賢院は学侶の寺院だった。
1143年、本堂創建。
1149年、焼失。
五智房融源が再建。
天正年間(1573〜1592)、
尼子の遺臣である山中鹿之助幸盛が普賢院に潜居。
1670年火災により、
古文書や仏具などが焼失。
1888年、本堂焼失。
廃仏毀釈の時代、
高野山東照宮の拝殿と裏門(現在の四脚門)が移築される。
松尾芭蕉は高野山を3度訪れた。
1度目、
主君の遺髪を菩提寺の報恩院に納め冥福を祈るため。
その後、
報恩院は普賢院と合併。
2度目、
主君の喪に世の無常を感じ、
西行法師に憧れ出離の念を抱いて登山。
3度目、芭蕉45才のとき杜国(弟子)を連れた旅。
普賢院は松尾芭蕉と縁が深い。
戦後、伽藍の三昧堂を模した芭蕉堂を建立、
芭蕉像をまつる。
1997年、ネパールより仏舎利が請来、
仏舎利殿を建立。
八角堂摩尼殿(まにでん) 仏舎利殿