2006/9 坂東市 逆井城 さかさいじょう
別名 飯沼城 平城(沼城)
築城時期 1456年頃 築城者 逆井氏
主要城主 逆井氏、北条氏繁
整備が行き届いていて、すばらしい城郭に思えた。
以下は、パンフレットを参考。
逆井城は、戦国末期の建築
佐竹氏、結城氏等と対峙していた北条氏の城
一曲輪(本丸)、二曲輪(二の丸)、三曲輪から構成。
豊臣秀吉による小田原征伐にともない廃城。
逆井城跡全体図 案内図より
逆井城跡の全体図 パフレットより
「遥かなる時をこえて、戦国時代へタイムスリップ。
肌で感じる雄大なロマン」
遺構(建造物は復元 ) 二層櫓、平櫓、関宿城門、
井楼矢倉、主殿、観音堂、櫓門と橋、曲輪、土塁、掘、空堀他
全体景観
■歴史
下野祗園城主・小山義政の五男常宗が逆井氏を称した。
1536年 北条氏の攻撃により逆井城は落城。
1577年 大規模な改修 佐竹氏、結城氏等と飯沼を挟んで対峙
1590年 小田原の役後廃城。
1982年 数次にわたる発掘調査
2006年 整備が行き届いた公園
■西二曲輪
大手口
二層櫓
戦国期の櫓を復元したもの
二層櫓と平櫓
井楼矢倉
敵の様子などの監視をおこなう
関宿城門
薬師門 関宿城の城門といわれる
主殿
牛堀町 大台城にあったものを参考に復元
観音堂 岩井市の大安寺にあったものを移築、復元
管理センタとそばやさん
西外堀
はすの花
鯉がたくさん泳いでいた
土塁
梅園
古城
大堀
■一曲輪(本丸)
櫓門と橋
復元されたもの 高さ約6m
■東二曲輪(二の丸)
■三曲輪
井楼矢倉
飯沼跡と西仁連川
戦国時代は、
東西約1Km 南北約20Kmの沼だった。
江戸時代の干拓により水田
横矢橋
比高二重土塁と空堀
土塁は堀、塀と併せ、敵の攻撃を防ぐ。
堀の内側と外側に土塁がある。
内側土塁の高さが
外側土塁より高くなっているものを
比高二重土塁という。
横矢掛り
土塁に凹凸や屈曲を設けたもの
矢や鉄砲で横から攻撃する。
鐘堀池
池は、湧き水が多く、
水が枯れたことがない。