2003/11 和歌山県和歌山市 和歌山城
平山城 築城者 豊臣秀長
築城年代 1585年 別名 虎伏城 竹垣城
和歌山城の本丸は標高48.9mの虎伏山と呼ばれ
虎が伏しているかたちに似ている山の頂にある。
和歌山城復元模型(観光パンフレットより)
マップ(観光パンフレットより)
沿革
1585年 秀吉が紀州攻め 秀吉が弟の秀長に和歌山城を築城させる
藤堂高虎 羽田正親 一庵法印が普請奉行
1586年 桑山重晴が城代
1600年 浅野幸長が関ヶ原合戦の功績で37万6千石
和歌山城主となる
1619年 徳川頼宣が55万5千石で入城
1846年 落雷で大天守・小天守・多聞などを焼失。
1850年 天守郭の再建工事竣工
1869年 版籍奉還
1871年 廃藩置県により和歌山城は廃城
1873年 新政府は全国183城の内39城を残して破却
和歌山城は保存城郭に指定 三の丸は保存外
1880年 旧本丸御殿の御台所が市内の光恩寺に移築
1901年 和歌山公園として公開
1925年 本丸御殿跡に市上水道配水池を設置
1931年 文部省より史跡指定
1935年 天守閣 隅櫓 楠門等が国宝建造物に指定
1945年 和歌山大空襲にて天守閣焼失
1958年 天守閣の再建工事竣工
1960年 岡口門解体修理工事竣工
1963年 松の丸跡に七福の庭復元
1973年 西の丸庭園(紅葉渓庭園復元)を復元
1982年 一の橋大手門を再建
1985年 追廻門解体修理工事竣工
和歌山駅
駅から歩いて城に向かう。
途中にあった大名行列の画 焼物?
大手門と一の橋 東堀
東堀
一の橋から北堀
大手門 高麗門形式 1982年復元
大手門裏
一中門跡
敵の侵入を防ぐため鍵の手状になっている
伏虎像
御蔵の丸 一中門から岡中門の間
表坂登り口
表坂石段を上がった 松の丸櫓跡から岡口門を見る
岡中門跡
敵の侵入を防ぐため鍵の手状になっている
岡中門跡
高石垣
野面積み
緑泥片岩を使用した割石を
横方向に積む野面積み
豊臣時代の石垣
石垣下の左側は南の丸跡
動物園になっている
本丸にあった「福神の庭」
七福神が船に乗っている様子を
岩石に擬して配置
紀州藩の隆盛を祈念し1621年に作られた
松の丸
表坂を登り天守へ至る虎伏山中腹の細長い曲輪
天守一の門跡
L字形の複雑な構造
大天守に見られる袋狭間
敵を防御する石落し
天守郭への坂道
天守郭
大天守・小天守・御台所・乾門・二の御門櫓・楠門を
多聞で連結し、
楠門を閉じると要塞化する連立天守の形態
楠門 総楠木造り
楠門 裏側
二の御門櫓
乾櫓
二の御門櫓
小天守
唐破風(からはふ) 小天守入口の唐破風
御台所?
大天守
中は博物館と展望台
大天守郭から見る楠門 二の御門櫓
乾櫓 紀ノ川 海 が見える
小天守
楠門を出てから大天守を望む
本丸跡
和歌山市の上水道の施設になっている
本丸階段より大天守を望む
天守曲輪
本丸は天然の要害
虎伏山山頂に縄張りる。
紀伊徳川家 連立式天守
本丸裏門跡
裏坂登り口
二の丸庭園 二の丸跡
北東隅に月見櫓 南東隅に太鼓櫓 北方に物見櫓
北西隅に駿河櫓 多門櫓と塀で結んだ曲輪がある
江戸城本丸御殿を模した
表 中奥 大奥がある二の丸御殿があった
切手門跡よりみる蔦魚閣(えんぎょかく)
山吹渓
豊臣時代の石垣 緑泥片岩による野面積み
西の丸庭園への入口門
鳶魚閣より切手門跡を見る
蔦魚閣
堀の中に突き出した東屋
西の丸庭園
1985年国の名勝指定
西の丸 は藩主の隠居所。
通称「紅葉渓庭園」
1619年頃造られた
江戸時代初期の城郭庭園
茶室 紅松庵ではお茶をたててくれる
鶴の渓 浅野時代に鶴が飼育されていた
砂の丸跡 現在は多目的広場
追廻門
砂の丸の乗馬調練場と門外を結ぶ朱色の門
冠木門ともいい
柱に本瓦葺の屋根
左右に櫓がない
入り口側
門の裏側
護国神社
新裏坂周辺の刻印
浅野時代の石垣
お城の中には2000以上の刻印がある
不明門跡
空堀
岡口門 銃眼付土塀
1621年建立 切妻本瓦葺きの櫓門
浅野時代は大手門があった
入り口側
東堀と銃眼付土塀
岡口門 裏側
堀の上に 左側 二の丸と右側 西の丸を結ぶ
御橋廊下が架かっていた。
堀