2003/10 岡山県岡山市  岡山城 
別名 烏城、金烏城
天守閣

岡山駅  駅から岡山城まで歩いていく

岡山城昔絵巻  (観光協会パンフレットより) 
城のある丘は岡山とよばれ 
岡山の地名のおこりといわれる

月見橋と旭川
月見橋は日本三大名園の1つ「後楽園」と「岡山城」を結ぶ橋

旭川に架かる月見橋から眺める岡山城の天守はうつくしい

案内の看板

廊下門
後楽園から月見橋を渡り、
天守に近づいて行くと最初に出会う門。
表書院から本段に渡した長廊下の下手に設けられた門。
表書院の通用門 1966復元。

表書院側よりみる廊下門

廊下門から天守閣へつづく石段

廊下門から天守閣へつづく石段

天守閣から廊下門へつづく石段

月見櫓
1615頃 建てられた。
本丸内では戦火をまぬがれた唯一の建物。
軍事目的以外に、展望台として使われた。
塗籠造り本瓦葺き2階建構造。
表書院外側からは2層の望楼型。
表書院側からは3層の層搭型。
最上階に廻縁をつけた楼閣風。

表書院外側からみる月見櫓と石垣

表書院外側からみる月見櫓と石垣

表書院
廊下門をくぐると表書院跡。
表書院跡より天守閣をみる。

藩政や接客に使われた「表書院」と呼ばれる城主の公邸があった。
玄関 広間 書院 藩主公邸である中奥と台所が並んでいた。
御殿はたびたび改修や建て替えを受けながら明治まで存続。
(パンフレットより)

65の部屋と庭園があったが 今は広場となっている

不明門

表書院の東南端から本段に通じる石段の入口に設けた渡櫓門。
出入りは北端の渡り廊下を使用したため 
ほとんど閉ざされていた。
1966年鉄筋コンクリートで再建

本殿より見る不明門

不明門下の石垣

本段御殿
本丸の最も高い段。
城主の生活の場所。
天守閣前面の広場には、
居館が建ち庭園もあった。
御殿への出入りは、藩主は渡り廊下、
御殿勤めの下働きの者は 六十一雁木上門を使用。
天守閣側り本殿をみる。

六十一雁木上門
本段から川手に通じる石段の上にある門。
61段あったことからこの名がつく。

天守閣の礎石
天守閣の礎石のみ移動され元の通りに配置されている

天守閣 
外観復元。
別名烏城。
烏のように真っ黒に彩られた建物。
1945戦災で焼失 
1966復元。
二階建ての建物を大中小の三つに重ねた三重六階。
不等辺五角形の天守台。
安土城模して築かれた。
天守内部は宇喜多直家の生涯や、
岡山城の建築の特徴などを紹介。
二階は書院造の城主の間が再現されている。
最上階から旭川 後楽園と岡山市街を展望できる。

天守閣の中 
宮本武蔵の寸劇をやっていた。
写真は沢庵和尚。

天守閣からの展望 後楽園をみる

金のシャチホコ

鉄門跡
下の段の南面から表書院へ通じる石段。
木部全体を鉄板で覆った門があった。

大納戸櫓跡
小早川秀秋が沼城から移築した
南北長20m 3階建の三階櫓があった。
石垣は上部ほど傾斜が大きい。

内堀

中の段南西の石垣
加工をあまり施さない自然石を用いている。
関が原合戦後に築かれた。
高さ約11m。

内堀に架かる内下馬橋を渡ると大手門跡
かつての岡山城の正門。枡形を形成。

内堀

内堀

大手門跡の石垣
本丸の正門があったところ。
巨石がくみこまれている。
高さ4.1m 幅3.4m 厚みは少ない。

岡山城本丸 (観光協会パンフレットより)

1〜19は櫓があったところ
(1) 三階櫓跡
(2) 干飯(ほしいい)櫓跡 
(3) 長屋続(つづき)櫓跡 
(4) 大納戸(おおなんど)櫓跡
(5) 伊部(いんべ)櫓跡 
(6) 数寄方(すきかた)櫓跡  
(7) 月見櫓  
(8) 小納戸(こなんど)櫓跡
(9) 隅櫓跡  
(10) 油蔵櫓跡  
(11) 修復櫓跡  
(12) 太鼓櫓跡  
(13) 舂屋(つきや)櫓跡
(14) 宍粟(ししざわ)櫓跡  
(15) 旗櫓跡  
(16) 槍櫓跡  
(17) 弓櫓跡  
(18) 花畑隅櫓跡  
(19) 小作事請(こさくじうけ)旗櫓跡
岡山城概要
所在地 岡山県岡山市丸の内  
別名 烏城、金烏城   
築造 
1573宇喜多直家、
1597宇喜多秀家  
形式 平城
遺構 
月見櫓 西丸西手櫓 櫓、
石垣、堀、復元天守・城門 堀  
城址は烏城公園となり、本丸跡が残っている。
戦争により天守・石山門など多くの建物を失う。 
戦後 天守・不明門・廊下門など、
本丸の建物が再建 。
主要城主 宇喜多氏57万4千石。 
小早川氏51万石。 (前)池田氏28万石 (後)池田氏31万5千石
外壁の下見板に黒漆が塗られ烏(からす)城とよばれた。 
金の鯱鉾を掲げたため 金烏城 とも呼ばれていた。
安土城を模して造られた。 
天守は2階建ての建物を3つに重ねた3層6階。
天守台は不等辺五角形。
旭川の川筋を変え堀の代わりにした。
旭川湾曲部の小丘を本丸とし、
二の丸、三の丸をめぐらし三重の堀がある。
櫓35棟 門21棟
天守閣内は展示館
6階 「まちを見る」展望室  
5階 「城のはじまり」宇喜多直家のはなし  
4階 「城のふしぎ」城の特徴
3階 「城のあゆみ」宇喜多 小早川の時代の紹介  
2階 「城のあゆみ」池田の時代の紹介
1階 「城下町のくらし」 
江戸時代の庶民の暮らしを紹介  
地階 「戦国合戦絵巻」
岡山城歴史

1346〜70 名和氏一族の上神高直により築かれる 
その後金光宗高が居城
1568 宇喜多直家は 三村氏を破り 西備前を握る
1570 直家 金光宗高を謀殺
1573 直家 備前地方を統合 岡山城を現在残る規模まで拡張・整備
1573 直家入城 城を大改築 居城として城下町の運営に着手
1590 直家の死後 秀家が築城工事に着工 
備前、美作の他に備中の一部を加え 
57万石を超える藩主となる
1594 旭川の流れを変え
本丸の北面から東面を巡らせ堀の役割を持たせる
1597 天守の完成で全工事を完了
1600 秀家 関ケ原の合戦に敗れて所領を没収 
小早川秀秋が52万石で岡山城主となる
1602 秀秋死去 小早川家は断絶 
姫路城主池田輝政の次男忠継が28万石で入封
1632 池田忠雄死去 
光仲が後を継いだが幼少のため鳥取城に移封 
鳥取城主の池田光政が入封
以後 光政系譜の池田氏10代31万5千石の居城として
明治維新を迎える
1945 空襲で月見櫓と西の丸西手櫓を除いて全て焼失
1966 天守閣 不明門 廊下門 
六十一雁木上門 周囲の塀など復元