2003/10 滋賀県彦根市 彦根城
別名 金亀城  築城1603年  初城主 井伊直勝  平山城 
面積 約1000m×約700m 彦根山標高163m 
天守閣は国宝 
主な曲輪を山の尾根に沿って直線上に配置する連郭式  
内濠から中濠までほぼ完全な形で残っている  
内濠は石垣と土塁 
中濠は石垣 
外濠は土塁
城と街並みのバランスが良くなされている  
保存が大切に成されている印象が強い
JR彦根駅前の井伊直政像

井伊直政は徳川3将の筆頭。  
他の2人(本多忠勝 榊原康政)が三河譜代なのに対し、
井伊家はもと今川家の家臣
直政の代に初めて徳川家に仕えた、
新参譜代  
甲州計略に功をたて、武田氏の旧家臣の多くを寄子とした。
武田の赤備で知られた山県昌景の配下を吸収し、
そのまま「井伊の赤備」と称した。
赤備とは鎧から兜まで赤一色を使った派手やかな戦闘集団をいう。
(隆慶一郎 影武者徳川家康より抜粋)
仏胴具足 井伊直政所用

「駅前お城通り」を少し歩くと城が見えてくる

いろは松
初め47株あったので「いろは松」といわれた。  
土佐松は根が地上に出ないため土佐より移し植えた松

中濠

護国神社

護国神社をみて城に向かうと
佐和口多聞櫓と中濠があらわれる  
白い塀に圧倒される

埋木舎うもれぎのや
桜田門外の変で暗殺される大老井伊直弼が 
17歳から32歳まで15年間住んだ屋敷。 
学問、武芸、禅、茶道など身につけた。
埋木舎とは、直弼自身が
 「世の中をよそに見つつも埋もれ木の 埋もれておらむ心なき身は」と詠む。
逆境に安住の心を求めて名付けた。
中級藩士の居宅程度の構え  
簡素な武家屋敷  門

玄関

庭と建物の様子

佐和口多聞櫓
いろは松から中濠を越えて二の丸に入る
入り口の両側に並んでいる櫓。
かつては佐和口門という櫓門があった。
両方の櫓はこの門の上で続いていた。 
左側 2間半に28間櫓。 
右側 2間半に50間の櫓は、1960年に造られた

馬屋
二の丸佐和口多聞櫓の近くにある。 
建立は1688〜1703年の頃、
藩主の馬がいつも10数頭飼われていた。

馬屋 門を入っての様子

表門橋 改修中

右奥の建物は彦根城博物館

内濠を右に歩き表門仮橋にいく  
表門仮橋から見た内濠  
表門仮橋より内壕を渡り 
彦根城博物館にいく

彦根城博物館
1987年に、江戸時代彦根藩の政庁の表御殿を復元した。
御殿の様子がわかる。
御殿の復元は少ない。
藩主の生活がわかる。

「奥向き」 藩主の私邸にあたる部分。
内部まで復元されている。
係りの方に親切に教えて頂いた。

「表向き」 政務が行われていた。
外観だけの復元。
内部には武具 能面 能装束 茶道具 書などが展示されている。
江戸時代の表御殿の中で現存する唯一の建物。
能舞台もある。
御茶も飲める。
庭も良く整備されている。

博物館から表坂の石段を歩くと
天秤櫓がみえてくる。

廊下橋
石段を上り詰めると廊下橋の下にでる。
廊下橋は 天秤櫓(右側)と鐘の丸(左側)間の
堀切に掛けられた橋。
かつて橋の上に屋根があり廊下橋と呼ばれた。
現在屋根はない。
屋根は防御のためか。
有事には 廊下橋を落し 太鼓丸 天守閣に渡れなくする仕組。

天秤櫓
廊下橋の下を通り 左側の石段を登って 
鐘の丸の方へ回り込むと天秤櫓正面にでる。
かつて城下に時を知らせる鐘楼があり鐘の丸とよばれた。
天秤櫓は佐和山城からの移築。
空濠から石垣を積んで多聞櫓。
両隅に二重櫓 
全体はほぼ左右対称の構成。

櫓下石垣の積み方は橋の左右で異なる。 
右側 粗雑に見えるが強固な 牛蒡積。 
左側 規則正しく切った石を積み上げた切石積。
鐘の丸からみた天秤櫓

天秤櫓門を通った様子

少し歩くと かつては鐘の丸にあった鐘楼がある。 
鐘の音が城下の一部に届かないため移した。

太鼓門櫓
坂道を上って回り込むと、
太鼓門櫓がある。
本丸の表口をかためる 
脇戸附の櫓門。

天守閣 国宝
本丸に入ると天守閣がある。 
高さ21m。 
天守の国宝は全国で4つ(彦根・姫路・松本・犬山)ある。 
そのうちのひとつ。
1606年完成。 京極高次が築いた旧大津城天守閣の材料を使っている。 
牛蒡積の石垣に 3層3階の天守が建っている。
付櫓を持つ複合式  
いくつもの屋根様式(入母屋破風・切妻破風・唐破風)を組み合わせている。
花頭窓 勾欄付の破風 武者窓などが調和している。

天守から景観

西の丸からみる天守

西の丸三重櫓
天守のある本丸から西方、
西の丸へ進むと三重櫓がある。 小谷城からの移築と伝えられている。

西の丸三重櫓

西の丸と井戸

石垣

黒門 内濠 を通り楽々園にいく

楽々園
城山を下って、
黒門橋で内堀を越えると
旧藩主の下屋敷楽々園がある。
槻御殿、別名黒門外屋敷ともいわれる。
1679年に完成した城郭御殿建築。
能舞台を備えた建物だった。
書院や地震の間 雷の間 楽々の間などが残っている。
槻御殿

地震の間
耐震設計を施した建物。
8畳、4畳、2.5畳の部屋からなる。 
建物全体が一枚の大岩盤上にある。
土台が舟底形になって
地震の衝撃に逆らわぬように造ってある。
更に上部の構造物をなるべく軽くする工夫がしてある。

庭園は枯山水 玄宮園と連なっている

玄宮園
楽々園東の大池泉回遊式庭園  
1677年に造営  
唐の玄宗皇帝の離宮をイメージし。
魚躍沼と呼ばれる池。
臨池閣 
凰翔台という建物 
4つの島  鶴鳴渚 竜臥橋 樹木や岩石等が配置されている。



井伊直弼銅像
1850年 彦根藩主となる。
1853年 ペリーが日本に開国を迫る。
1858年 幕府の大老職となる。 開国を断行。 外国と修交を結ぶ。
1860年 桜田門外で暗殺される

内濠 
石垣が2段になって 
その間が土手になっている  
犬走りとよばれる

大手門橋と大手門跡

大手門橋と大手門跡

大手門橋から内濠をみる

地蔵堂

旧西郷屋敷長屋門 
内濠の南にある京橋口から入って左手一帯、
内曲輪は当時の上級家臣の屋敷地 
老中西郷伊豫の屋敷
長屋門は、市内に残る長屋門中最大のもの

旧西郷屋敷長屋門前から京橋へ続く道

中濠

京橋

夢京橋キャスルロード
昔風建物の土産物屋が道路の左右に並ぶ  
観光都市化と史跡保存が大切にされている

彦根城の指定文化財一覧(パンフレットより)
天守 国宝 2棟   
天秤櫓 重要文化財 1棟   
太鼓門櫓 重要文化財 1棟  
西の丸三重櫓 重要文化財 1棟
二の丸佐和口多聞櫓  重要文化財 1棟  
馬屋 重要文化財 1棟   
西郷屋敷長屋門 市指定文化財 1棟
城跡 特別史跡 1件   
玄宮楽々園 名勝 1件
中濠 二の丸 本丸
正面に二の丸佐和口多聞櫓  
左上に天秤櫓  中央高いところに天守閣  
手前は中濠

マップ(パンフレットより)

彦根城の歴史年表 (彦根城博物館での配布資料より)
1600年 関が原合戦で東軍勝利 井伊直政 佐和山城を拝領
1602年 井伊直政 佐和山で死去
1603年 井伊直継藩主となる 18万石
1604年 築城開始
1606年 本丸天守完成 佐和山城から移る
1615年 井伊直孝 彦根藩主となる 30万石
1622年 表御殿 城内諸石垣 門 城下町の町割がほぼ完成
1659年 井伊直澄藩主となる
1676年 井伊直興藩主となる 槻御殿を造営
1701年 井伊直通藩主となる
1710年 井伊直恒藩主となる 約50日で没する
1710年 井伊直興再び藩主となる 
直該と改名 幕府の大老職に就く
1714年 井伊直惟藩主となる
1735年 井伊直定藩主となる
1754年 井伊直#ヒ主となる 約60日で没する
1754年 井伊直定再び藩主となる
1755年 井伊直幸藩主となる 幕府の大老職に就く
1767年 第二郭佐和口多聞櫓より出火 
櫓 厩 武器など焼失 再建
1789年 井伊直中藩主となる
1811年 井伊直亮藩主となる 幕府の大老職に就く
1850年 井伊直弼藩主となる 
幕府の大老職に就く 桜田門外の変で暗殺される
1860年 井伊直憲藩主となる
1871年 廃藩置県
1872年 城郭は陸軍省の所轄になる
1878年 城郭の撤廃 売却を開始 
大隈重信が天皇に城郭保存を奏上 取り壊し中止となる
1891年 宮内省の所轄になる
1894年 地所・建物が井伊直憲に下賜
1944年 井伊直忠 彦根市に寄贈