03/8/1 愛媛県松山市 松山城
勝山の上に建てられた連立式平山城。
海抜132m
天守の高さ21m
「春や昔 十五万石の 城下町かな」 子規
「松山や 秋より高き 天守閣」 子規
「旅人の 城へ上がるや 春の風」 子規
「山城に 残る夕日や 稲の花」 子規
1603年 加藤嘉明が築城
1605年 5層の天守が完成。
1642年 松平定行が3層の天守に改修
1784年 焼失
1854年 復旧
南に小天守,西に南北2基の隅櫓を従えた連立式であった
1933年 大天守を残して焼失
(説明看板より)
松山駅から城へ
松山駅前 松山駅前の通りを松山城に向かって歩く。
南堀端通り
15分くらい歩くと、城の堀に出る。
堀の内側は美術館、博物館がある。
堀
愛媛県庁近くから城の方を見る。
城に行く途中の石垣
近くに競輪場がある。
道路は一般道、車が通る。
本丸まで行く道は2つある。
他にもロープウェイまたはリフトでいく方法もあるようだ。
二の丸史跡庭園を通って本丸まで歩いていく。
二の丸史跡に向かう道
黒門跡
二の丸史跡から本丸へ
二之丸史跡庭園
時間が早くまだ開いていなかった。
松山城二之丸史跡庭園は、
松山市制100周年を記念して
松山城二の丸跡に造られたもの。
昔の二の丸邸の間取りを構築の上に表現し、
そこに草木、流水を配した史跡庭園。
(説明看板より)
松山城二之丸
1602年 築城とあわせて、
藩主の生活や藩政のための屋敷として普請が始められた。
二之丸は、
本丸を防備するための施設で、
南と西側には内堀があり、高い石垣と強固な櫓や門、
それらをつなぐ塀によって周囲が囲まれていた。
(説明看板より)
二の丸史跡入口
外から見る中の様子
二の丸史跡
本丸へ続く道
二の丸史跡庭園から本丸への道
本丸への道
急な斜面が続く 自然が豊か
急な斜面が続く
大手門跡を過ぎ左へ曲がると太鼓櫓が見える
美しい石垣と櫓
時刻が早かったので本丸に行かず
ロープウェイ乗り場に行ってみる。
松山城古図が掲示板になっていた
ロープウェイまたはリフトの駅
朝早く、まだ閉まっていた
ロープウェイ近くの売店
ロープウェイ乗場方面から
天守に向かう道。
揚げ木戸門跡があるとのことだがよくわからなかった。
本丸石垣の周り
天守に行く前に本丸石垣の周りを歩く。
馬具櫓−巽門−艮門−野原櫓−乾櫓を
石垣の外から見る。
馬具櫓
高さ14mの本丸南面石垣
石垣上は隠門続櫓
巽櫓
天守外の石垣
艮門(うしとらもん)東続櫓
艮門(うしとらもん)
本壇の東にあたり、
この方面の防備を担当。
寄手が揚木戸門、
あるいは搦め手の乾門方面に迫ったとき、
門から出撃し寄手の側面をつく。
(説明看板より)
本丸石垣の周り
艮門東続櫓
夏のためか、石垣に生える草が多い。
石垣を手入れする人
野原櫓
石垣がつづく
乾門(いぬいもん)
本丸北曲輪
乾門(いぬいもん)
搦手のなかで重要な構えを持つ門。
脇門付。 (説明看板より)
乾門東続櫓
北隅櫓
南隅櫓
野原櫓
本丸の西北方および北側を防衛する二層櫓。
1600頃の建物(説明看板より)
本丸
天守閣
チケット売り場から太鼓門の方を見る
天守閣
三重三層地下一階。
1854年再建。
(説明看板より)
小天守閣と天守閣
天守閣とニノ門南櫓
紫竹門
天守閣
ニノ門南櫓
ニノ門南櫓
本丸
太鼓櫓
巽櫓・太鼓門とともに
同じ高さの石垣の上につくられ、
大手からの進入に対する。
二層隅櫓。
(説明看板より)
太鼓櫓近くから松山市内を見る
太鼓櫓から見た太鼓門
太鼓門
太鼓櫓から巽櫓まで一線上に構築され、
大手からの侵入に対する。
太鼓門は、
東端にある脇戸付の櫓門。
(説明看板より)
隠門続櫓
隠門をはじめ大手正面を防衛する。
(説明看板より)
筒井門東続櫓
筒井門・隠門をはじめ大手方面の防衛。
単層櫓。
(説明看板より)
本丸南曲輪
大手門跡
山麓の二の丸および堀の内へ通じる門。
(説明看板より)
太鼓櫓と石垣
太鼓櫓 (戸無門から見る)
戸無門
本丸大手の重要な固め。
(説明看板より)
筒井門と隠門
本丸大手の重要な固め。
脇戸付の櫓門。
(説明看板より)
隠門
本丸
筒井門西続櫓から太鼓櫓を見る。
筒井門西続櫓
戸無門・筒井門をはじめ大手の防衛にあたる。
(説明看板より)
馬具櫓
太鼓門とともに、
二の丸方面を防衛する二層隅櫓。
現在事務所も兼ねている。
(説明看板より)
井戸
南北二つの峰を埋めたてて本丸の敷地をつくったとき、
この地にあった泉を井戸として残した。
井戸の直径2m 深さ44.2m
(説明看板より)
天守曲輪
チケット 南隅櫓と小天守閣と天守閣
紫竹門東塀
乾門方面から攻撃に備えたもの。
1850年ごろ再建。
(説明看板より)
紫竹門東塀
一ノ門
脇戸付の高麗門で本壇の入口。
ニノ門南櫓・三ノ門南櫓・小天守閣から射撃される構え。
1786年再建。
(説明看板より)
ニノ門
本壇における第二番目の門で薬医門の形式を持つ。
天守閣三ノ門東塀から射撃される構え。
1854年再建。
(説明看板より)
三ノ門
本壇における第三番目の門で
高麗門の形式を持つ。
三ノ門南櫓、天守閣から射撃される構え。
1854年再建。
(説明看板より)
天守曲輪
筋鉄門
脇戸付の櫓門。
櫓は天守閣と小天守閣の通路となり、
三ノ門を防衛する。
(説明看板より)
三ノ門南櫓
一ノ門、ニノ門、三ノ門を防衛する一重櫓。
1854年再建。
(説明看板より)
筋鉄門東塀
一ノ門南櫓・一ノ門・小天守閣を防衛する。
1854年再建。
(説明看板より)
筋鉄門
小天守閣
天守閣につぐ重要な二層ニ階の櫓。
大手・搦め手を防衛。
(説明看板より)
多聞櫓
南隅櫓と小天守閣を連結する建物。
南隅櫓と紫竹門とを防衛。
(説明看板より)
天守曲輪
南隅櫓
本壇の西南隅に位置し、
乾門方面を防衛するとともに、
ニノ丸・三ノ丸を監視する二層櫓。
(説明看板より)
十間廊下
北隅櫓と南隅櫓を結ぶ。
乾門正面を防衛。
(説明看板より)
北隅櫓
本壇の西北隅に位置し、
乾門・野原櫓および北郭方面を防衛する二層櫓。
(説明看板より)
玄関多聞
玄関を上がったところで、
内門櫓を経て天守閣に通じる仕切門・内門・北隅櫓を防衛する。
(説明看板より)
穀倉
天守閣の地下一階にあたり、俗に米蔵という。
約2000俵の米を収蔵できる。
(説明看板より)
天守閣からの松山市を見る
小天守閣
天守閣からの松山市を見る
先に太鼓櫓が見える
ニノ門南櫓 一の門南櫓
天守曲輪
天守閣から松山市を見る
天守閣から松山市を見る
南隅櫓と十間廊下
北隅櫓
松山市内
玄関多聞
南隅櫓
松山市内
天守曲輪
仕切門?
筋鉄門
内門
天守閣の西側に位置し、
仕切門との間は枡形となっている。
上の櫓は天守閣と玄関多聞の通路。
(説明看板より)
仕切門内塀
乾門方向に対して側防の構えとなっている。
1854年再建。
(説明看板より)
仕切門
脇戸付の高麗門。
天守閣の北側、内門との間が枡形。
天守閣・玄関多聞によって防衛される。
1854年再建。
(説明看板より)
天守閣
三重三層地下一階。
1854年再建。
(説明看板より)
天神櫓から見る仕切門
本丸南曲輪
天神櫓
天神櫓
本壇東北の隅に位置し、
艮櫓・艮門および小筒櫓を防衛。
櫓には菅原道真の像を安置。
(説明看板より)
天守閣
一の門南櫓
小天守閣 一の門南櫓
艮門より天守に入る。
天守閣と天神櫓
ニノ門南櫓
本丸から二の丸庭園
再び二の丸史跡に向かって下る
下り道
再び二の丸史跡に到着
チケット
二の丸史跡入口
奥御殿の模型
庭園内
本丸を見る
林泉庭
水琴屈(すいきんくつ)
かめの中に水滴が落ちると
水滴音が内部で反響する。
(説明看板より)
観恒亭
庭内
大井戸遺構
東西18m 南北13m 深さ9m
汲み上げた防火用水を床下を通って
火災現場に運ぶと思われる。
(説明看板より)
入口の門
庭内
お城から戻る
二の丸より市内に戻る
堀の様子 亀が甲羅干しをしていた
市内の路面電車
松山から高松へ向かう途中の瀬戸内海
マップ (パンフレットによる城の配置)