2003/08 福島県白河市 小峰城    
別称 小峰城 白河城 白河小峰城 (平山城) 
東西に長い独立丘陵を利用して築城された
梯郭式平山城。
本丸及び二の丸の一部約8万uが史跡として指定
駐車場から歩いて行くと白い塀がある

お城への入口

二の丸の観光用トイレ越しに見る三重櫓

二の丸の城址の碑

二の丸 清水門跡 。冠木門になっている。
本丸下の護り門で、往時には、櫓門が存在した。
奥は本丸多聞櫓跡の石垣。

清水門跡右手水堀

清水門跡左手水堀

清水門を入り左折

石垣

本丸裏門にあたる桜御門

桜御門よりみる

桜御門を入り本丸をみる

沿革
1340〜46年 結城親朝によって
築城されたのが城郭としてのはじまり。
以後白川結城氏の有力な一族である小峰氏の居城。
1504〜20年 白川結城氏の本城となる。
1590年 豊臣秀吉による奥州仕置により
白川氏が改易。会津藩の城代が置かれる。
1627年 丹羽長重が10万石の城主として棚倉より移封。
1627年 近世城郭を丹羽長重が、
幕命により4年の歳月を掛けて城は大修築。
仮想敵は、伊達・上杉・佐竹の外様大名。
侵入予想路にあたる北側を重点的に防備。
1643年 榊原忠次 上野館林城より入封 14万石
1649年 本多忠義 越後村上より入封 12万石
1662年 本多忠平 宇都宮へ移封
1681年 松平忠弘 宇都宮より入封 15万石
1692年 松平直矩 山形より入封
1695年 松平基知 
1729年 松平義知 姫路へ移封
1741年 松平定賢 越後高田より入封
1770年 松平定邦
1783年 松平定信 
松平定信は老中"寛政の改革"を行う。
1812年 松平定永 桑名へ移封
1823年 阿部正権 武州・忍より入封 10万石
1823年 阿部正篤
1831年 阿部正瞭
1838年 阿部正備
1848年 阿部正定
1848年 阿部正耆
1864年 阿部正外 老中職
1866年 阿部正静
1867年 阿部家が棚倉へ移封、
二本松藩主の丹羽家が管理
1868年 戊辰の役の攻防で大半を焼失して落城。
戊辰戦争(戊辰の役・白河口の戦い)。
奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との
約100日に及ぶ戦いの舞台となる。
1991年  三重櫓木造復元
1993年  前御門が史実に基づき忠実に木造復元。
本丸御殿跡
三重櫓(天守)と前御門

本丸跡

三重櫓(天守)と前御門

 三重櫓(天守)
前御門とともに戊辰戦争時に焼失。
1991年正保城絵図と小峰城御櫓絵図を参考に
木造3階建で復元。
本丸の北東隅に建つ三層三階の櫓、
実質的に天守の役割を果たした建物 
高さ約14m。
1、2階には張り出し部分及び石落し、
各階に格子窓及び鉄砲狭間を設け、
鯱の大きさ約1.2m 。

前御門

おとめ桜

1632年本格的築城のときに、
石垣が崩れるのを防止するため、
人柱を立てたという。
人柱は築城現場を最初に通った者で、
身分の上下および老若男女の別なく
選ぶことになったという。
たまたま父を迎えにきた藩士の娘が
現場を通り捕らえられ人柱になったという。
この娘を哀れみ城内に桜が植えられ
おとめ桜と呼ばれるようになったという伝えがある。
(観光協会看板より)
天守内部と眺め
入口より入ったところ

復元時、
戊辰戦争の被弾木の稲荷山の
杉大木を使用、弾痕が見られる。

2階内部

天守3階より南方向(二の丸&JR白河駅)を望む。
建物は前御門屋根。

前御門と周辺
本丸を出て前御門をみる。
1993年 前御門が史実に基づき忠実に木造復元。
「表御門」ともいわれる
正門として、
裏門に当たる桜御門と共に本丸を守る。

三重櫓(天守)

三重櫓(天守)の裏。
前御門を出て左側にいく。



前御門入口側より清水門跡側をみる。

二の丸
清水門跡を出て二の丸にもどる。
左建物 二の丸休憩所 
奥の建物白河集古苑。

二の丸休憩所

石垣

白河集古苑

平屋建ての館内には
結城家古文書館・安部家名品館がある。
結城家古文書館は結城家が伝えた古文書を展示。
安部家名品館は 絵画・漆工品・染織・陶磁器を展示。

芭蕉の「むら尾花句碑」
「ほととぎす まねくか麦の むら尾花」

1823年 三方領地替。
福島県白河市と三重県桑名市・埼玉県行田市は、
友好都市を締結している。
1823年に三方領地替(三方領替)と呼ばれる
大名の配置転換がおこなわれた。
白河藩主松平定永は、白河から桑名藩11万石へ。
桑名藩主松平忠堯は、桑名から忍藩10万石へ。
忍藩主阿部正権は、忍から白河藩10万石へ。
三方領地替えの引越しで、
藩主・家臣・家族等三藩で15,000人が移動した。

石垣

白河集古苑よりお城の入口側をみる。

石垣と天守

お城入口を出て駐車場に向かう道

城郭の縄張り
城郭の範囲は約60万uの規模。
標高370mの丘陵西端の頂部に本丸とその帯曲輪。
本丸より東・南側に二の丸、三の丸、三の丸外曲輪。
各郭の周囲には石垣・土居。
そして大小の堀、南に大手門、北に尾廻門(搦手門)、
東に田町門・横町門、西に会津門・道場門を設置。
本丸北側は、土手を築き阿武隈川の流れを北に変え、
その旧河道の一部は外堀とし、
内掘と石垣とで2重・3重の構えとした。
全体的には、不整五角形の縄張りといわれる。