03/6/7 大阪府中央区 大坂城 
天下を制した豊臣・徳川氏の城。
大坂城のあるところは、
かつて石山本願寺があった。
織田信長との戦いに敗れる。
1853年羽柴秀吉が大坂城をつくる。
三段からなる石垣の上に五重の天守。 
1615年大坂夏の陣で落城。
1620年より徳川幕府が大坂城の全面改築。
1629年完成。1665年落雷による焼失。
1931年外観模擬天守増築。



大阪城マップ

水上バスと天守閣のチケット

JR環状線 「大阪城公園」駅で降り、
大阪城天守閣に向かい歩く。
水上バス大阪港のりばの看板と放送が聞こえる。
水の都大阪、水上からの「なにわ散策」。
水上バス「アクアライナー」で大坂城・中之島めくりを体験
第二寝屋川 大阪城港から出発

土佐堀川

中之島



旧淀川(大川)

旧淀川(大川)からみる造幣局 桜之宮公園

水上バスを降り
大阪城ホールと野球場の間をとおり天守閣に向かう。
しばらく歩くと目の前に東外堀と石垣が見えてくる。
大阪城の裏側となる青屋口から入る。
青屋口

青屋門 (説明看板による)
大坂城の非常口とも言うべき門、
1620年頃創建、算盤橋と称する引橋(押出し、
引入れ自在の装置)が架かっていた。
1945年8月に大空襲で大破、
1970年に大阪市が残材をもって復元。
青屋門の名称の由来は大坂本願寺時代、
この門外付近に青屋町があったことによるものと推定。

極楽橋(説明看板による)
山里丸と二の丸をむすぶ橋、
もとは幅3mの木造橋。 
1626年創建、
1868年焼け落ちる 
1965年に復興
「豊臣時代大坂城本丸図」に木造橋が描かれている。 
1983年、橋の高欄と橋面を修理。

内堀

山里口門からの天守閣

天守閣(説明看板による)
1931年 大阪市民により、
「大坂夏の陣図屏風」の豊臣時代天守閣図をモデルに、
鉄筋コンクリート造りで復興。
最初の大坂城天守閣は、
1583年豊臣秀吉によって創建、 
1626年に徳川幕府により現在の天守閣の位地に築かれた。
1665年落雷で焼失  
現在のものは史上3代目にあたる。

重要文化財 金明水井戸屋形(説明看板による)
水面まで約33mの深さ 
井戸枠は1個のくりぬき石 
外部の水流しは4枚の大石を組み合わせ敷き詰めている。
伝説では、
秀吉が井戸水の毒気を抜くために
黄金数枚を水に沈めたと言われた。
調査で、
井戸は豊臣時代のものではなく、
1624年に掘られ、
井戸屋形は1624年に建てられたと判明。
井戸は黄金水と呼ばれた。

天守閣入口

天守閣内 
8F 展望台地上50mからの眺め  
7F 豊臣秀吉の生涯ジオラマで秀吉の生涯を説明。
5F 大坂夏の陣図屏風の世界大坂夏の陣に関する展示  
4F 豊臣秀吉とその時代歴史資料・桃山時代の遺品が展示。
3F 豊臣秀吉とその時代歴史資料が展示。
黄金の茶室原寸大模型。  
2F お城の情報コーナー パネルで城を説明。 
1F 天守閣の入口 
エレベーターがあり一気に展望台までいける。
シアタールーム、ミュージアムショップ。
天守閣入り口にある大砲

天守閣からの眺め

豊臣氏のシンボル  桐文

天守閣  左側に売店

金蔵(きんぞう)(説明看板による)
金蔵は「かなぐら」とも呼ぶ。
普通は御金蔵といわれる。
徳川時代、幕府の金貨、銀貨を保管した土蔵。
大金庫の役割を果たした。  
1626年に創建 2階建 
1843年に1階建てに改造。
内部は板張りで大小2室からなる。
床板の下は厚い石敷き、
入口は二重の土戸と鉄格子戸の三重構造、
小窓は土戸と鉄格子、床下の換気窓は鉄の二重戸。
構造形式/土蔵造り一重寄棟造本瓦葺  
面積 93.14u  
1960年解体修理



桜門枡形の巨石(説明看板による)
本丸正門を守る枡形。
多聞櫓があったが、
1868年の城中大火の際に焼失。
桝形構造は1624年岡山藩主が担当、
岡山産の花崗岩を使用。
正面の石は蛸石と呼ばれ城内第1位の巨石 36畳敷、重量130トン
左側の石は振袖石と呼ばれ城内第3位の巨石、
33畳敷 120トン

銀明水井戸の井筒
本丸御殿下台所裏にあった
銀明水井戸の井筒を
1931年、敷石とともにこの地に移し飲料水井戸とした。
水は水道水を使用。
本丸内の金明水に対して
この名がつけられたものと推定。

桜門(説明看板による)
豊臣時代にも本丸の正門は
桜門と呼ばれていた。
桜の馬場という地名も知られている。
この付近に桜の並木があったと思われる。
桜門は1626年に築かれ、
1868年焼失。
1887年再築。
構造形式 高麗門本瓦葺  
1969年解体修理

桜門

千貫櫓(説明看板による)
大手口を守る隅櫓の一つ、
1620年に創建。
乾櫓とともに古い。
織田信長軍の石山本願寺攻めの時、
一つの隅櫓からの横矢に悩まされた
「あの櫓さえ落とせるなら
銭千貫文与えても惜しくない」
と話し合ったエピソードが伝えられている。
構造形式 二重ニ階本瓦葺

大手門枡形の巨石(説明看板による)
大手門枡形は、正門の防御として、
特に立派な石垣で築かれている。
大手門正門の見付石は表面積 29畳 
重量108トン 城内第4位の巨石。
左手の巨石はおよそ23畳敷、85tで第5位。
巨石は、豊臣時代のものでなく、
徳川時代の大坂城再築時に、
瀬戸内海の島から運ばれてきた。
担当大名は、
最初は熊本藩主でのちに久留米藩主が築き直した。

大手門(説明看板による)
城の入り口は表側を大手口、
裏側を搦手口という。
大坂城には
大手口に大手門、
搦手口東に玉造門、
西北に京橋門、
北に青屋門を備えていた。
創建は1620年で、
1783年に落雷によって破損し、
1848年に大掛かりに補修された。
構造形式 高麗門、本瓦葺  
1967年解体修理

千貫櫓と多聞櫓

西外堀

多聞櫓(説明看板による)
大手門枡形の石垣の上に建ち、
二の丸への出入り口となる
大門を組み込んだ構造をしている。
櫓は頭上に槍落しがあり、
出窓を構え、
矩折に続櫓が附設されている。
多聞櫓の名称の由来は諸説がある、
一般には大和国多聞城で初めて築いた様式とされ、
塁上に築く長屋状の櫓をいう。
この櫓は現存する櫓中、
最大の遺構である。
1628年に創建され、
1783年に落雷で焼失し、
1848年に再建された。
構造形式 矩折一重一部楼門構え本瓦葺  
1969年解体修理

千貫櫓

西外堀

大阪城西の丸庭園
大阪城二の丸のうち、
本丸の西部を「西の丸」とよぶ。
秀吉の正室「北の政所」が 
1600年徳川家康がこの地に移り住むまで住んでいた。
大阪西の丸庭園入り口



西の丸庭園

千貫櫓

西の丸庭園より天守閣を見る

西の丸庭園

西外堀

乾櫓(説明看板による)
西の丸の乾(戌亥) 西北の方角に建つ隅櫓、
L字形、総ニ階造り 
一階と二階の床面積が同じ構造、
三方正面の櫓とも呼ばれた。
1620年に建てられ、千貫櫓とともに、
現存最古の建造物。
構造形式 矩折二重二階本瓦葺  
1959年解体修理

西外堀

サミット用に作られた建物

焔硝蔵(説明看板による)
徳川時代の火薬庫。
黒色火薬が保管されていた。
創建は1620頃。
当初は土蔵造り。
青屋口内の焔硝蔵が1660年落雷で大爆発。
1985年に石造りの焔硝蔵が築造。
床、壁、天井、梁すべて花崗岩、
壁の厚さ約2m、屋根は寄せ棟造りの本瓦葺。
屋根下は土を積み固めている。
石造りの火薬庫は日本では他に例がない。
構 造形式 石造一重寄棟造本瓦葺 
1960年解体修理



京橋口

内掘

西の丸庭園



内掘







太鼓櫓跡(説明看板による)
二の丸南部への出入り口にあたり、
左右の石垣の間に
南仕切門と呼ばれる城門があった。
右側の石垣の上に、
太鼓を蔵する小さな二階櫓があり
太鼓櫓とよばれていた。 
創建は1628年。
太鼓は平時は時刻を知らせ、
戦時は将士の召集や出陣の合図に打ち鳴らされた。 
1868年の城中大火で焼失。

石山本願寺推定地(説明看板による)
1496年 蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立。  
1532年 六角氏等により山科本願寺が焼き打ちされる。
本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展。  
石山本願寺周辺は、
山科と同様に広大な寺内町が造営された。
これが現在の大阪の町並みの原形。  
顕如の時代に、
信長との石山合戦に敗れる。 
石山本願寺を退去した本願寺教団は、
京都に本拠を移転。 
石山本願寺跡は秀吉により大坂城が建設される。
大規模な土木工事により
地形的にかなりの改造が加えられる。
大坂夏の陣ののち徳川大坂城が建設される。
石山本願寺跡の正確な位置は、確認されていない。
現在の大阪城公園内にあったと考えられる。

六番櫓(説明看板による)
二の丸南側を固める隅櫓の一つ。
一番櫓と構造形式はほぼ同じ。
濠側に石落しを2ケ所設け窓目狭間、
石狭間も多い。 
窓の内側には障子を建て、
居住性をよくしている。
1628年に創建、
1830年に大修理がなされた。
構造形式 二重二階本瓦葺  
1966年解体修理

南外堀と六番櫓



南外堀

一番櫓(説明看板による)
二の丸南側には東から西へ
一番から七番までの隅櫓があった。
櫓は倉庫的な役割も兼ねている。
一番櫓は玉造口を側射する位置にあり、
石狭間、武者窓等開口部が多く、
一時に多くの射撃ができる。
窓の内側に障子を建て常時武士が居住できる。
創建は1628年 
1668年、1832年に大修理が行われた。
構造形式 二重ニ階本瓦葺  
1965年解体修理

内掘







大阪城梅林



内掘

青屋門

東外堀

JR環状線 「大阪城公園」駅