03/3/29 72年に一度行われる第17回 東西金砂神社磯出大祭礼
03/3/22〜3/31におこなわれた。
851年の第1回より数えて,
約1200年の伝統があるといわれています。 
幸久小学校の校庭での田楽。
M.Hさんからいただいた写真


祭礼の様子を記す絵巻(一部)
 
祭礼は,東金砂神社(竜神大吊橋のある水府村)氏子と
西金砂神社(金砂郷町)氏子を中心に行われる。
数百人が,古代の装束を着衣して行列を組み、
各地で神事 田楽舞を奉納する。
水木の浜(日立市)に降り海水を汲み神体を清め秘法を行い、
天下泰平 五穀成就 万民豊楽を祈願する。
6泊7日の日程で往復約80kmを歩く祭事は
全国でもめずらしく、
磯出の祭事では日本最大級。
大祭礼のほかに,小祭礼という祭りがある。
7年目毎(6年に1度)に行われる。
現在までに196回を数えている。

祭礼は毎日新聞等で紹介された。
多くの人が行列、田楽を楽しんだ。
NHKテレビでも90分の特集で紹介。

03/3/29、72年に一度開催される金砂大祭礼を見てきた。
大祭礼は3/22〜3/31までの予定で催された。
いちどは見なければと思っているうちに
祭りも終わりに近づいてしまった。
3/29休日を利用し見学に行くことにした。
見たのは、東金砂神社の行列。
常陸太田市の上河合祭場で 
8時から実施されたという田楽舞のあとの行列を見る。
行列は上河合祭場を午前10時頃に出発。
道路には多くの人が行列を見ていた。
500人といわれる行列、よかった。
3/30の朝日新聞によると、
3/29の会場や沿道は
約6万3千の熱気であふれたと書いてあった。

新聞等の情報から 
東海村から会場の常陸太田市河合まで何でいくかまよった。
見学する人が多い。
車で行けば駐車場を探すのが大変 
公共の交通機関 電車、バスでは
どういっていいかわからずまよった。
自転車 で行くことにした。
幸いなことに、河合は久慈川に近く
東海村からは「久慈川サイクリングコース」を通っていける。
快適に行けるはず・・・・・・と考えた。
風が吹かないことを願って出発 
行きは少し追い風 春の空気を肌で感じた。
家を8時頃 自転車で出発。
本当はもう少し早めの出発を考えていたが
なにかと時間が過ぎてしまい遅い出発となった。
最近できた東海村と日立を結ぶ留大橋 
道路はまだ「久慈川サイクリングコース」ではない。
久慈川にかかるJR常磐線 「久慈川橋梁」

河川敷沿いを自転車で行く。

東海村から日立にかかる橋「竹瓦橋」
この橋を渡るのはちょっと恐い。
橋を渡り「久慈川サイクリングコース」にでる。
竹瓦橋

国道6号線の東海と日立をつなぐ「榊橋」

真っ直ぐつづく「久慈川サイクリングコース」

久慈川

那珂町と常陸太田市をむすぶ「幸久大橋」

常陸太田市河合につづく橋  
水郡線橋梁

9時くらいに日立太田市河合に到着 
橋の下には祭礼を見にきた人の車。
所狭しと駐車していた。
県外ナンバーの車が多かった。
JR水郡線「久慈川橋梁」

小学校校庭で行われていた田楽も終わり
行列を見ようとする人が
道路の両端にすわり行列を待つ。
行列通過は10時頃の予定。

行列が始まる  
「天下泰平 五穀成就 万民豊楽旗」の旗が先頭

行列が進む 静かに黙々といった感じ

「さかきの木の枝?」を運ぶ人 

鼻が高いので天狗?



刀を帯びた人 「青士」?神様の護衛か?



小さな子ども 「天童子」が馬にのり進む 
このような格好で長い間馬に乗って大変なことと思う 
子どもには大変な思いでになるのだろう



この人の役柄は何?「神職騎馬」? 
手に持っているのは刀?

愛嬌を振り撒く「神猿」

「なぎなた」?を持った人
 
変わった衣装をまとった人

お賽銭いれ? 
これを担いでいた若い人は元気がよかった



横笛をふく人 
一日中吹いていたら大変だ

大小の刀をさしたひと

さかきの枝をもらうと何かいいことがあるらしい 
神のご加護が得られる?

立派な神輿がやってきた

金ぴかの神輿 
祭礼の為にかなり手直しされたものに見えた 
立派だった
神輿を担ぐ人も大変 
何日も神輿を担ぐことは本当に大変なことだ

警護のひとも大変です    
立派な 少しはでな衣装をまとったひと

笙(しょう)を吹くひと



約15分の祭礼の行列が終わる
行列を見る人から離れ
「久慈川サイクリングコース」に戻る

東海村を流れる久慈川

「留大橋」を自転車で渡る

木が見えるところは 東海村「石神城」跡

石神城跡 古蹟「石神城」探訪

小さい桜の木には花が咲いていた

堀あと

御城跡 真ん中に木があったが 切られていた

石神城主の墓 長松院にある

感想 
72年にいちどの祭礼をみた。
なぜ見たか 「見ないことには話もできない」
そのような気持ちが見に行った動機のような気がする 
72年にいちど何故このような大掛かりのことをするのか?
72年後も多分行われるのだと思う 
信仰のためか ひとを動かす「ちから」は何か? 
ちょうどイラク戦争が勃発
一方でこのような祭り 
同じことを繰り返しているような気もする 
祭礼を見てえたものは 
ことばにしにくい「何か大きなもの」であった。
大きすぎるのだ。