98/5/3 
ブルーモスク アヤソフィア  
宿泊地;イスタンブルホテル;the marmara  
モーニングコール6:45パッケージダウン
朝食6:30出発8:00 
イスタンブル観光   
スルタンアフメットモスク ブルーモスク  
アフメット1世の指示により1616年に完成。

■テオドシウスのオベリクス  
ブルーモスクを出る。
オベリクス、蛇の円柱がある。
エジプトのカルナッツク神殿より持ってきたもの。
高さ6mの土台の上に25mのオベリクスが立っている。 
ファラオを讃える言葉が象形文字で刻まれている。
子供がおもちゃ、絵はがきガイドブックを
買ってくれと何人も近づいてくる。
日本語を片言はなす。
話をしているとおもしろい。
トルコの子供の間で流行っているという、
こまのようなおもちゃを買ってみた。
トルコの子供は上手に回して見せてくれた。
笛を売っている大人の人もいる。
1つ欲しかったがちょっと買うタイミングを失った。

蛇の円柱   
オベリクスのすぐ近くにある。
AD479年、ペルシャとギリシャのの戦いで
ギリシャの勝利を感謝して神殿に建てられた。
オリジナルの高さは8m。 
現在は5.5m。 
柱の頭上がない。 
コンスタンチン大帝の頃、現在のところに持ってこられた。  
地下宮殿  
地下宮殿に行く。 
古代都市の抱える問題の一つは、包囲戦の場合の水の供給だった。 
イスタンブルにはそのための貯水池がいくつか残されている。 
屋外貯水池もあるが地下の貯水池もある。
ハギアソフィア聖堂にちかい地下宮殿もその一つ。
コンスタンチン大帝(BC527〜65)が建設を始めた。
地下141×73mの広さ。
各列28本の柱が12列。
合わせて336本。
柱の高さ8m。 
様々な柱頭がある。  
■ハギアソフィア(アヤソフィア)  
アヤソフィアの大聖堂を見学。
キリスト教国家ビザンチンの都コンスタンチノーブルの象徴

■トプカプ宮殿  
バスでトプトカ宮殿。 
アヤソフィア聖堂とトプトカ宮殿の距離は近い。
バスを降りトプカプ宮殿の第1庭を通り送迎門へ。
送迎門は2人の軍人がいる。
門を入ると第2庭。
右奥に厨房だった建物がある。
1,000人を超す料理人や給仕がいた。
5,000人ほどいた廷内の人々や客の食事をつくった。
部屋には鍋等が置いてある。 
12,000点ほどある。
中国と日本の陶磁器が展示されている。
陶磁器は宋、元、明時代が中心。日本のものは有田焼が多い。
オスマン王朝の絶大な権勢を感じる。
幸福の門を入ると第3庭、図書館、謁見室等がある。
右手にはスルタンの着衣ギャラリー。  
■宝物室
宝物室は観光の人が多かった。
 「短剣トプカプ」という大きなエメラルドをあしらった美しい短剣。
ターバンの飾り  
質量ともに素晴らしい。 
エメラルドコレクション  
宝石をちりばめた器や武器、 水晶の器 、
純金の巨大な燭台。豪華な玉座
86カラットのダイヤモンド。
オスマン帝国の栄華を感じる。
第2庭左側にはハレムと呼ばれる大きな建物がある。
内部は宦官、 女奴隷、 夫人 スルタンの母 王子 スルタンなどの
大小の部屋がある。
中庭 小庭園と分かれている。 

昼食  
トプカプ宮殿を後にバスはガラタ橋を渡りアジア側に移動。 
ガラタ橋





泊まったホテルとは別ホテルの
日本人の方の経営するレストランで昼食。
和定食みたいなものを食べる。 
結構美味しかった  
特にお茶が美味しかった。 
ホテルまでバスにて戻る。
午後はフリー。  
■一人歩き   
買い物をされた方もおられるみたいだった。
ひとりでブラブラとホテルから歩ける範囲のところを歩いた。
軍事博物館というところが比較的近くにあったので歩いていった。
オスマン時代から世界大戦で使用した武器を展示していた。
閉館まで見ていたが見切れなかった。
ちょうどオスマン軍楽隊メフテル、
世界最初の軍楽隊といわれているとのこと。
独特の衣装を身にまとった50名ほどの演奏で
不思議な演奏だった。



■ホテルにて  
今 イスタンブルの街の中。
喧騒たる街である。
ホテルの部屋にて長かったトルコの旅を終えようとしている。
イスタンブルは人が多い。 
明日は家族のいる日本へ出発することになる。
予備知識がなくやってきたトルコ。
国土の広さ、人の親切さが身にしみた旅だった。
何時間乗っても尽きない同じ景色 。
まっすぐな一本道をバスは快調に飛ばす。
数百kmを進んでいく 。
ちょっと日本では想像に難しい世界だった。
小麦 、ひまわり 、じゃがいも、 綿畑のつながっている世界だった。
日本の農業をしている人が、
一度はやってみたい広さではないのかとも思った。
しかし アンカラ、 コンヤ、 カッパドキア等山間部。
山間部というよりは高原地といった方がふさわしいのかもしれない。
畑の広さはすばらしいが、
山に木はなく、
水がなく、
人々の生活は決して裕福とはいえないようだ。
石のゴロゴロした世界。
山に木のない世界は、
日本にいては想像しがたい世界だ。
3,000kmにも及ぶトルコにおける長旅。
本当にツアーの皆様、 ガイドさん 添乗員さん
一体となってのできごとだった。
名前も知らずにまあよくやってこれたと思う。
これからのこと 人生80年として
その生活の半分を終えたわけである。
折り返し点を過ぎてしまったわけである。
これから「さらに半分人生を楽しめるのだ」と考えるべきだろう。
人生の目的は何か。
自分にとって本当に充実した人生とは何か。
悔いのない人生とは何か。
家族全員が立派に生きていければよいと思う。

宿泊地;イスタンブル  
ホテル;the marmara